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尖沙咀の『翠華餐廳』で食べた焼そば的なもの。翠華餐廳は香港各地にある(空港にもある)ファミレスチェーン。カツカレーとか豚骨ラーメンもあるいい加減な店ですが、安くて普通に美味しい

尖沙咀の『翠華餐廳』で食べた焼そば的なもの。翠華餐廳は香港各地にある(空港にもある)ファミレスチェーン。カツカレーとか豚骨ラーメンもある、いい加減な店ですが、安くて普通に美味しいですよ

とはいうものの。香港の古本屋事情は、実のところかなりお寒い状況です。特に日本語書籍を扱う古書店となるとどんどこ(というほどの数はもとからありませんが)数を減らしていて、いまや知るかぎりで2軒だけ。日本人にとっては古くからの定番的な観光地であり、実際に旅行者が多いのですから、日本語本を扱う古本屋もたくさんあってよさそうなものですが、ないんですよね。ここはホント昔からこんな感じで、アジア圏でみると質量ともに台北やバンコクの方がはるかに充実しています。憶測ですが、本を売り買いするほど香港に長居する日本人は、それほど多くないのではないでしょうか……。さあらばあれともあれ。その2軒が0軒にならないうちに、行かずばなりますまい(<謎の使命感)。

「翠華餐廳は飽きた」とかみさんに連れて行かれた、何とか言う有名店の名物、ナントカ賞受賞チャーハン。他にもいろいろ頼んでどれも美味しかったですが、わたしの懐は一気に厳冬に

「翠華餐廳は飽きた」と云うかみさんに連れて行かれた、何とかいう有名店の名物。ナントカ賞を受賞したチャーハンだそうで、貫録ありすぎのマダムがカッコよくとりわけてくれます。他にもいろいろ頼んでどれも美味しかったですが、わたしの懐は一気に厳冬に

賑やかなネイザン・ロードからいっぽん裏道にはいり、そのまま表通りと並行するかたちで油麻地をさらに南へくだっていきます。目的地は尖沙咀エリアだし、裏道を通ったからってショートカットできるわけではありませんが、表通りはなんだかきれい過ぎ、歩いていてあまり面白くないんですよね。人通りの多さは裏も表も似たようなものだけど、こちらに並ぶ店はあくまで小汚く油臭く、道はゴミだらけ水溜りだらけ。歩行者の人相もぐっと悪くなって喧しく、通り全体がわんわんいう猥雑な活気に満ちています。さすがに昔のようなぎらついた剣呑さは薄れましたが、それでもぼんやり歩いていると引ったくりやら掏摸やらにいつでも出会えそう。とにかく多少の緊張感をもちつつ進んでいきましょう。

洒落臭いカフェみたいなトマトブックスの入口。画面ほぼ中央、白く輝く「tomato books」のロゴが目印です

洒落くさいカフェみたいなトマトブックスの入口。左側のキンキラキンが車寄せ入口。その向こうの画面ほぼ中央、白く輝く「tomato books」のロゴが目印です

当面の目的地は漆咸道(チャタムロード)沿いにある「ラマダホテル九龍(カオルーン)」。地下鉄駅でいうと「尖沙咀」駅から徒歩10分ちょっとの、尖沙咀としてはやや辺鄙なロケーションで、ホテルじたいも中規模クラスの観光ホテル(ただし金ぴか)ですが、その地下に古本を扱う日系書店『トマトブックス』さんがあるのです。ただし、ホテル自体は漆咸道に面しているものの、その正面入口から入っても書店へは行けません。右手へ進んでホテルの建物を左へ回り込むようにして行くと、キンキラキンに輝く車寄せ入口があり、その並びに「tomato books」の入口があるんですね。洒落臭いカフェレストランみたいな店構えですが、実はここ、日本人にはおなじみのカフェレストラン『イタリアン・トマト』が経営するお店なのですよ。

地下1階のトマトブックスへつづく階段。壁にはお店の由来が書いてあります

地下1階にあるトマトブックスへつづく階段。壁にはお店の由来が日本語と英語で書いてありますが、中国語はなし。なんで?

どうしたって古本屋とは思えない――どころか新刊本屋にも見えないお洒落な入口を抜けると、輪をかけて洒落くさい階段が地下へとつづいています。見ると右手の壁にこのお店の由来が書いてありました。曰く、トマト・ブックスは香港へ展開したイタリアン・トマトでレストラン業務を管理していた方が、香港在住日本人のためにこしらえた大型書店である由。わたし自身の記憶では、開店当初のお店はもっと尖沙咀駅そばの繁華な場所にあったはずですが、2013年に現在地に移転したのだとか。移転後は売場が広くなったこともあり、従来の日本の雑誌・書籍、雑貨類に加え、禅スタイルをモチーフにしたイベントルーム(?)とカフェ、キッズエリア等も設置したのだそうです。こうした多角化によって付加価値を加えていく店舗戦略って、近年の日本の大型書店のそれにそっくりですね。国際的な流れみたいなものなんでしょうか。

地下1階の「トマトブックス」入口から店内を望む

地下1階の「トマトブックス」入口から店内を望む。古本屋探索人にはきれいすぎていささか敷居がたかい感じです

たどりついた地下一階は、どうやらこのトマトブックスがワンフロア全てを占めているようで、売場はかなり広く、香港の書店としてはおそらく中文書店もふくめ最大級と思われます。重厚な入口ドアを抜けると、すぐ左手にケーキ類をならべたショーケースにテーブルもおいて、かわいいカフェコーナーとなっています。さらに右手は生活雑貨のコーナーで、一見書店には見えません。正面奥へ進むと、ようやく書籍、雑誌が並んでいました。雑誌やマンガにハードカバーや文庫の新刊も充実し、日本の中規模クラスの書店にも引けを取りません。低い棚にゆったり本をならべ、こぎれいなイマドキのブックカフェという感じですが、まあ、そんなことはどうでもよろしい。どんどん歩を進め、店のいちばん奥、左手方向に突き進みましょう。するとにわかに灯が暗くなり黄ばんだ色に変わって、書棚もぐっと背の高いものに変わります。お待ちかねの古本コーナーです。

本棚と本棚のあいだが広く、床に本を積んだりしていないので、歩きやすいのはよいですね。そのぶん「どこに何があるか分らないドキドキ感」は薄いですが

本棚と本棚のあいだが広く、床に本を積んだりしていないので、歩きやすいのはよいですね。そのぶん「どこに何があるか分らないドキドキ感」は薄いですが

そこだけ妙に飾り気なく、無愛想に本棚を立て並べただけの小部屋状のスペースです。広さはざっと中規模クラスの古書店なみでしょうか。壁三面のほか三列の書棚が、通路も広くとってゆったり立ち並び、床積みしていないフローリングの床も清潔で、たいへん上等なブックオフといったおもむきです。品揃えは全体の半分がコミック、残り半分の活字本のうち半分が文庫。さらに残り4分の1のこれまた半分が雑誌やムック類で、残り(つまり全体の8分の1)が単行本という案配。並んでいる本のジャンルは、ビジネス書に経済小説、そして時代小説が大半で、ちょぼちょぼと申しわけていどにミステリその他のエンタテイメントがあります。全体に、いかにも香港駐在中の日本人ビジネスマンが売り飛ばした本という感じで、正直掘り出し物は期待できそうもありません。

ハードカバーの棚。ビジネス書、経済書、時代小説。『楊令伝』とか『三国志』(宮城谷版)が並んでいますね。ミステリは宮部さんのものが多かったです

ハードカバーの棚。ビジネス小説、経済書、実用書、時代小説。『楊令伝』とか『三国志』(宮城谷版)が並んでいますね。ミステリは宮部さんのものが多かったです

それでも30分ほどウロウロしたでしょうか。3冊ほど(※1)選んで笑顔の姑娘に包んでもらい、店をあとにしました。釣果といえるほどの買物ではありませんが、「全品10ドル(香港ドル)均一」(※2)なので、全部で500円弱。そう考えれば、じゅうぶん満足できる探索でした。そもそも当方の経験上、海外古書店では日本語書籍の掘り出し物などほとんど期待できません。だからこそ出会えた時の喜びは大きいわけですが……まあ、そんな期待は持たない方が心はやすらかでしょう。とにかく500円そこそこでじゅうぶん楽しませてもらったのは間違いありません。古本屋として見るとブックオフの海外店ふうの物足りなさはありますが、きれいな、ほどよく落ちついたよいイマドキ書店なのはたしかです。香港在住の日本人にとっては大切なお店なのではないでしょうか。なお、今回はいけませんでしたが、香港にはもう1軒、『寫樂堂』(※3)という日本語書籍を扱う古書店が香港島側にあります。小さな店ですが、ここはここで面白いので、訪港の機会がまたあったら、ご紹介いたしましょう。

左から、ウィリアム・L・デアンドリア『ウルフ連続殺人』、江坂遊『ひねくれアイテム』、P・G・ウッドハウス『笑うゴルファー』

左から ウィリアム・L・デアンドリア『ウルフ連続殺人』、江坂遊『ひねくれアイテム』、P・G・ウッドハウス『笑うゴルファー』……変な取り合わせですね

※1 江坂さんのショートショート集以外はダブりです。デアンドリアの『ウルフ連続殺人』は、傑作『ホッグ連続殺人』のシリーズ作品とはとうてい思えないスットコ作で、古本屋でもあまり見かけないのでなんとなく買いました。『笑うゴルファー』は、なぜかウッドハウス読みたくなって「帰りに読む」用に

※2 1香港ドル=15~16円くらい(2015年6月)

※3 寫樂堂の顔本をみるとなんだかアイドル雑誌専門書店みたいですが、ふつうの古本もあった、はず(笑)

「香港での正しい時間のつぶし方というものは、結局あのきちがいじみた表通りと、あのとてつもなく猥雑な裏通りを、ただフラフラと歩きまわることしかないと思う。街へ出ること――〈出街 ちゅっ・がい〉がすべてだ」 『香港 旅の雑学ノート』山口文憲 著

彌敦道(ネイザンロード)。香港も建物内はほとんど禁煙で、結構厳しく規制されていると聞いていたんですが、実際には外ではけっこういい加減。さすがに歩き煙草するひとは見ませんでしたが、交差点ごとに灰皿があってほぼ喫いほうだい

彌敦道(ネイザンロード)。香港も建物内はほとんど禁煙で、結構厳しく規制されていると聞いていたんですが、実際には外ではけっこういい加減。さすがに歩き煙草するひとは見ませんでしたが、交差点ごとに灰皿があってほぼ喫いほうだい

山口文憲さんの本を手にとった当時、まだ20代だったんだよなあ――と気づいて少しばかりびっくりしました。20代!じぶんにもそんな年のころがあったんだなあ。まあ、はじめて香港に出かけたときも、このカッコいい文章の影響がけっこうあったと思います。それまで海外に行ったことなど一度もなく、行きたいと思ったこともなかったのに。実際、そのときは3日間ひたすら出街。ただもううろうろと、憑かれたように香港の街中を歩きまわりました。ぴかぴかきらきら途方もない光が渦巻く旺角(モンコック)の表通りも、裸電球の黄色い灯火の影で得体のしれないエネルギーが蠢く男人街(ナンヤンガイ)、女人街(ノイヤンガイ)(※1)といった裏街も、どちらも目が回るほど刺激的で。これはもう、のん気に仕事などやってる場合ではない!などと、意味なくコーフンしたものです。あれから茫々30年。わたしもたいがい歳とったけど、香港もおおきく変わりました。出街してすぐにそう思った。

横長看板のイルミネーション。地震がない香港ですが、台風がくると、けっこう落っこちたり飛んだりしているようです

横長看板のイルミネーション。地震がない香港ですが、台風がくると、けっこう落っこちたり飛んだりしているようです

そもそもいまの香港には、啓徳空港も九龍城もタイガーバーム・ガーデン(※2)さえありません。表通りのぴかぴかきらきらは相変わらずだけど、どことなく全体にこぎれいになって、街路の空を埋めつくしていた馬鹿げて横長の乱立看板も、ちょっとばかりおとなしくなったような。裏町に立ちこめていた匂い――ドブくささと磯くささが混じったところへ八角その他の香辛料や油の回った揚げ物、タバコに排気ガスが複雑に入りまじった悪臭も抑えかげんで、しじゅう警官と追いかけっこしていた食べもの屋台も見あたりません。返還の影響はそれほど感じませんでしたが、まあ、そういうことなのでしょう。それでもやっぱりこの街はとびきり刺激的です。わたしのようなロートルでさえ、歩きまわっているだけで元気になれそうな気がします。というわけで、遅めの昼飯を済ませたら、ごんごん歩いていきましょう。目指すはもちろん、古本屋です(笑)

男人街(ナンヤンガイ)。まだ日が暮れてまもないので人出はそれほどでもありません

男人街(ナンヤンガイ)。まだ日が暮れてまもないので人出はそれほどでもありません

九龍半島西側の目抜き通り「彌敦道」(ネイザンロード)を旺角(モンコック)から油麻地(ヤオマーティ)、尖沙咀(チムシャーツイ)に至る、香港いち賑やかなエリア「油尖旺区」を南へ下っていきます。地下鉄ならほんの3駅ですが、ここは歩かなければ意味がありません。このあたりは平日でも休日でも昼でも夜でも人だらけクルマだらけの絵に描いたような繁華街ですが、バンコクやホーチミンに比べると(少なくとも彌敦道は)まだしもきちんと歩道があって人車がきっちり分けられ(※4)、ふつうに歩くぶんには身の危険は感じません。でも、面白くないんですよね。道もひろく緑も多くて清潔だし、お店はどれも有名ブランド店や高級レストラン。歩いているのは観光客ばかりで刺激というものがありません。というわけで一本裏道へ入ります。たちまちカオスです。暗くて汚くて臭いゴミだらけ水たまりだらけ看板だらけ裏道を、目つきの悪い香港っ子たちが声高にしゃべりながらごちゃごちゃ歩いています。これこれ(笑)

 

 

女人街(ノイヤンガイ)。こういう立体的な商品展示が香港のナイトマーケットの特徴のひとつ。値段はほとんど付いていませんが、ほしい品物を指さすと因業そうなおばさんが計算機に数字を打ち込んで示してきます

女人街(ノイヤンガイ)。こういう立体的な商品展示が香港のナイトマーケットの特徴のひとつ。値段はほとんど付いていませんが、ほしい品物を指さすと因業そうなおばさんが計算機に数字を打ち込んで示してきます

※1 「男人街、女人街」:香港を代表するナイトマーケット。「男人街」は佐敦から油麻地に続く「廟街」の別称で、主に男物の服飾雑貨を扱うことからこう呼ばれ、彌敦道から2本入った裏道「通菜街」は同じく女物を主に扱うことから「女人街」と呼ばれています。どちらも夕方から道の両側に大きな露店がすき間なく並んで店開きし、毎夜のように観光客が観光バスで乗りつけて押すな押すなの大賑わいになります。もともと道幅が狭いところへ客がどっさり押しかけるので通路は立ち止まることもすれ違うことも容易ではありません。まあ、わたしにとっては買物というより、キッチュな風情を楽しむ観光夜市という感じです。古本は扱ってないし。むかしは、いろいろ怪しげなものも扱っている男人街のほうが賑やかだったような記憶がありますが、今回みた感じでは女人街のほうが活気があったようです。

※2 「タイガーバーム・ガーデン」:虎の絵がトレードマークのハッカ臭い軟膏「タイガーバーム」で巨富を築いた富豪 胡文虎(故人)が香港島の山の上にこしらえた巨大な別荘の庭園で、かつては香港名物の1つでしたが、現在は閉鎖されています。地獄極楽風景やらグロテスクなジオラマがどっさり配置された悪趣味の極みともいうべき景観は、あれはあれでなんというかはなはだしく香港だなあ! という感じでありました(※3)。

※3 かつて香港観光の目玉のひとつだったタイガーバーム・ガーデンでは、群れなしてまとわりつく「タイガーバーム」の売人が名物のひとつでした。ところが、そうした市内観光のツアーを案内してくれる現地人ガイド氏は、このタイガーバームを「旧式の効かない」薬と厳しく断罪し、「ほんとうに効くのはコレ!」とおもむろに「白花油」という液状軟膏薬を取りだすのがお決りでした。「いまならトクベツに安くお分けするヨ、ハイ見本を後ろのひとに回して回して」とバスの中で公然とアルバイトを始めるわけですね。前述のとおりタイガーバーム・ガーデンが閉園されたいま、そうしたアルバイトも過去のことかと思いきや、やっぱり「かつてはここでネー」と強引にタイガーバームの話がはじまり、当然のごとく「白花油」を売り始めたので大笑い。変わってないなー。こうなるともう、伝統芸ですね。

裏町のゴミ箱。いちおう「ゴミ」「紙類」「プラスチック製品」「金属製品」「プラスチック製品」と分別されています

裏町のゴミ箱。いちおう「ゴミ」「紙類」「プラスチック製品」「金属製品」「プラスチック製品」と分別されています

※4 もちろん横断歩道もあります。でも、進んでよし!のときの信号機のメロディがモノスゴクせわしく、しかも時間がえらく短い。小走りでわたってもわたりきれなくて、最後のほうは音楽がオラオラオラーっ!早く渡んないと轢くよーっ轢いちゃうよーっ!という感じでせかしてきます。

 

※次回はかならず古本屋が登場します。そのはずです。

どことはいいませんがホテル全景。建物下方の平屋部分に、どこかで見たようなロゴマークが入っていますね

どことはいいませんがホテル全景。建物下方の平屋部分に、どこかで見たようなロゴマークが入っていますね

前述したように、この老舗ホテルは部屋が大きくゆったりしている反面、設備がどれもこれも滅法界古く、ていねいに清掃され整備されてはいるものの、全般的にたいそうくたびれているのは否定できません。たとえばトイレ。ウォシュレットまではむろん期待していませんでしたし(※1)、水洗ならばまあ良しと思っていたものの、いきなり「流れない!」という事態にはさすがに笑いました。なにしろ中途半端なそれでなく、こう断固たる決意させる感じさせる「流れない」なのです。とにかくどれほどコックを捻っても、捻り挙げても、「んッごー」とイカニモそれらしい音を立ててちょびっと水位を上げつつ、しかし渦も巻かず、さざ波ひとつ立てず、水はガンとして流れません。

ホテル周辺はこんな感じ。九龍からはだいぶ離れてる(クルマで30分弱)んですが、それなりに賑わってます

ホテル周辺はこんな感じ。九龍からはだいぶ離れてる(クルマで30分弱)んですが、それなりに賑わってます

いかに付き合いの長い夫婦とはいえ、ことは紳士としての体面にかかわります。意地になってこれでもかとコックを捻りまくりますが、やはり「んッごー」と音だけやたら景気よく、しかしその水面はあくまで明鏡止水のごとく、変化の兆しすら現われないのです。10回、20回、状況は変わらず、さらに30回を超えて、これはもうフロントに連絡するしかないか、と。だけどここのフロント、どえらく因業そうなおっさんだったよなア、と。早くも腰が引けかけたところで、ハレルヤ。神も照覧。徐々に水位が上がりはじめ、さらに十数回……おおよそ40回目のコック捻りで時は充ち、めでたく「ざっばー」と流すことができたのでした。

こちらは九龍中心部、旺角の看板。「物業」とありますから、どうやら不動産屋の広告みたいですね

こちらは九龍中心部、旺角の看板。「物業」とありますから、どうやら不動産屋の広告みたいですね

楽しかるべき旅行で、なぜまたこのような非道な仕打に堪えなければならぬのか。いま思えば理不尽さに怒りを禁じえませんが、その時は「とにかく流れた!」「流れてくれた!」――と、もはや全面的に「神に感謝」状態です。トイレ自身も自身の卑劣な行ないを反省したのか、以後はなぜか10回程度捻れば流れないでもない、という小康状態(※2)となったので、ことさらことを荒立てるのも如何なものか、と事なかれ主義の結論に達しました。じつは他にもコンセントがアレだったり(※3)、Wi-Fiがウヌヌだったり(※4)いろいろあったのですが、すでに日も傾き、とにかく腹が減りました。荷物を置いてただちに出街した次第です。

本項つづきます。できれば次回こそ古本屋にたどり着きたいところです。

これもホテルの近所にあった八百屋さん。香港人はあまり家で料理をしないといいますが、まったくしないわけじゃないでしょう

これもホテルの近所にあった八百屋さん。香港人はあまり家で料理をしないといいますが、まったくしないわけじゃないでしょう

※1 とはいえ日本国内では、もはや安いビジネスホテルでもウォシュレットは標準装備という感じですし、バンコクやホーチミン、台北の中級ホテルでもついていました。仕事でも遊びでも安いホテルしか使いませんが、そろそろ、ウォシュレットが付いてなかったら軽く驚くくらいの普及率ではあります。

※2 かみさんが流すとこれが2〜3回できれいに流れるのに、当方が流するとやはり10回以上ごちゃらこがちゃらこやらなければいけない、という謎現象が漏れなく発生するという。かみさんが言うには、なにかこうコックを捻った時の力の加え加減にコツがあるというのですが、いくらマネをしてもダメ。またしても「ほんっと不器用よねー」と言われてしまいました。深夜にひとりで延々と果てしなくコックを捻り続けていると、無念無想というか無我の境地というか時が視えるというか。越しかた行く末に遠く思い馳せ、思わず遠い目になってしまいます。

※3 近年の泊まりがけの旅行で、宿泊先に不可欠な設備の1つに充電用コンセントが挙げられます。当方の場合、夜間にはスマートフォンにiPad-mini、ルーターと3つくらいは充電用コンセントが欲しいところで、夫婦での旅行となるとさらにかみさんのスマートフォン充電用のそれも加え、都合4つほど必要になります。ところがこのホテルの客室ときたら、コンセントというものがありません。ほんとうに全く存在しないんです。ならばテレビや電灯その他の電気器具のプラグをぶっこ抜けばいいじゃん、と思うでしょ。 そうは問屋が卸さないんだな。なんとこれらの機器全てが、壁に穴を開けて直接電線ケーブルを引っ張り出すという想像を絶した謎仕様。それでもようやく見つけたのが、洗面所のひげそりシェーバー専用との注意書き付きの1基のみだったのでした(※5)。

※4 フリーWi-Fiも、国内のビジホならほぼ基本装備だし、海外でも3ツ星ならば装備しておいてほしいところです。実際、バンコク、ホーチミン、台北あたりは客室内もフリーWi-Fiが飛んでいて、シーズン中ならパ・リーグTVに繋いでロッテの試合をリアルタイムで楽しむことだってできます。だったら香港でないはずがない。というか、そもそもWebで調べた観光ガイドサイトで客室内フリーWi-Fiということを確認して予約したのですから、ないはずがない。なのにない。This in HONGKONG quality(笑)。いや、厳密にいえばあったんですが、どれも有料なんです。それもいかにもこちらの足下を見た価格で、むかっ腹立てて使いませんでした(※7)。

謎と恐怖に満ちた三相コンセントに躊躇なくプラグを叩き込むの図

謎と恐怖に満ちた三相コンセントに躊躇なくプラグを叩き込むの図

※5 このシェーバ専用コンセントが3ツ穴の3相式――といっても3穴が横に並んだ不可思議な形状で、115Vと200Vという異なる電圧に対応する仕掛けらしいんですが、おそるおそるプラグを差し込み、おそるおそる手持ちの中では1番古くて仮にぶっ飛んでもダメージが比較的軽いだけど実際に飛んだら泣くスマホを接続したところ、べつだん火花も出ません。なのでようやく問題解決、とかみさんとハイタッチしたんですが、甘かった。ひとばん経ってもぜんッぜん充電されてないのよ、これが(※6)。

※6 だもんで、今度こそ腹を立ててフロントに電話をかけ、英語と北京官話のちゃんぽんで断固として果断かつ無慈悲な一撃を加えたところ、15分後にルームサービスがゆるゆる到来。そこで同氏を相手にさんざん聞き返したり筆談したりしたあげく、ついに解明されたのは、当該コンセントは洗面所の室内灯を点けている時だけ使える、謎仕様だった――という驚愕の真相。つまり、ルームサービス氏によれば、貴殿らは愚かにもけったいにも洗面所の灯を消して寝たりするからコンセントの電源も落ちてしまい充電されなかったのであろう――と。まことに遺憾である――と。そろそろ戻っていいか――と。これだけ聞きだすのに軽く20分くらいかかりましたが、まことになんといっていいやら、んもー。こんなん初めての経験でしたが、香港ではこういう仕様がふつうなのかしらん。

※7 あくまで個人的な感想ですが、香港は街中のフリーWi-Fiが少ない印象です。というか、電波はいっぱい飛んでいるけどどれもこれも有料で、スタバですら金を取りやがられます(コンビニで売っているプリペイドカードを買って記載のパスワードを入れて使うスタイル)。完全なフリーは、それこそ空港の一部のエリアとマクドナルドくらいしか見あたりませんでした。マックえらい(笑)

JR池袋駅の西口から数分です

JR池袋駅の西口から数分。噴水しない、単なる丸い深泥が沼みたいになっている噴水が目印です

もう昨日のことですが、「池袋西口公園古本まつり」へ行ってきましたので簡単にレポ。毎年恒例のお楽しみイベントですが、今回はテントの数も増え、本も増えてかなりスケールアップした感じです。黒っぽい本も含め古書全般に映画パンフ、古ポスターに古絵ハガキetcの紙ものに映画DVDなども並べて、規模ではおそらく新橋駅前の古本まつりにも引けを取らないないのではないでしょうか。新橋みたいなサラリーマンは少なく、会場周辺のベンチには昼間から楽しく酔っぱらったりしらふだったりの爺さんたちがたむろしてます。うーん、池袋。ともあれGW前の平日午後という時間だったせいか客もわりかた少なめで、のんびり探書できました。

各店とのレジはテントの外の炎天下でどえらく暑そうでした

各テントのレジは外の炎天下でえらく暑そうでした。ここは園庭を囲むように樹木が茂っているので、はじっこのテントの方が木陰にレジを設置できる。端っこに配置されたお店はラッキーですね

とはいえ、なにしろ暑い日で、見て回っていくだけで体力を削られます。そういう探書活動が面倒な方への対応策なのでしょうか、今回初めて、会場探書サービスみたいなことをやっていたのが面白かったです。つまり、なにか具体的に本を探しているけど探し回るのが面倒くさい!という場合、古本まつり本部に申告すれば、その旨を会場に放送してくれるんですね。「コレコレこういう本をお探しのお客様がおられます。各店とも心当たりあらば、至急本部へお届けありたし」という……。実際、古本市に不慣れなご夫人などが盛んにご利用しておられましたし、かなり大きな古本市でないとやりにくいかもしれませんが、良い試みなのではないでしょうか。

お玉さん推奨のペリイ・メイスンもの『車椅子に乗った女』が速攻見つかったのが嬉しい。ライスはなぜかこの頃読み返したくて集め直してます

今回の収穫。お玉さん推奨のペリイ・メイスンもの『車椅子に乗った女』が速攻見つかったのが嬉しい。ライスはなぜかこの頃読み返したくて集め直してます。シモンズとケンドリックは安かったので

ただし、こうしたオープンスペースの古本市で面倒なのは、テントや店ごと(今回はテントごと)にレジがしつらえられ、個々に精算しなければならない点です。いや、買うのはいいんですが、その後が。つまりA店で見つけたものと同じ本が別のテントのB店にあって、しかもそっちのが安いじゃん! というまことに腹立たしい事態が間々発生しないではないではない。これを避けるには、本を見つけてもキャッチ&リリースし、ひと回りして他に無いことを確認のうえ、戻って買い直せばよい、わけですが。まあ、売れ残っているかどうかは賭けですよね。今回はもう暑いし面倒なので、見つけたら即買いというスタンスでしたが、やはりぐぬぬな案件もありました。まあ、そんなこんなもひっくるめて、やっぱり(あまり混みすぎない)古本市は楽しいですね。

※ ちなみに、ミステリ者は会場奥のステージ前のテントを目指すが吉。ポケミスがラックいっぱいあります(2カ所)。おおむね100〜200円でした。
※ 古本まつりは、明日30日17時までです。

九龍側の中心地・旺角(モンコック)の裏町。昨年のデモの現場もすぐそばですが、もうデモの痕跡は何も残っていませんでした

『香港旅の雑学ノート』などで描かれる香港のイメージは、こんな感じ。九龍側の中心地・旺角(モンコック)の裏町です。昨年のデモの現場もすぐそばですが、もうデモの痕跡は何も残っていませんでした

30年ばかり前、生まれてはじめて出かけた外国が香港でした。ジャッキー・チェンの映画が好きで(※1)、スクリーンに登場する香港の町に憧れて、手に取った山口文憲の『香港旅の雑学ノート』『香港世界』といった本で描かれる、旅行ガイドには載ってない路地裏の香港がどえらく魅力的に思えたのですね。若い女性はパジャマ姿でうろうろ夜歩きするとか、粥には油条(長い揚げパン)をちぎって入れるもんだとか……ぜんぜん知りませんでしたから。その後幾度か出かけましたが、今回、超久しぶりに訪港したのも、1997年に中国へ返還され、昨年は大規模な反中国・反政府デモが起こるなど、なんとなくわたしの知っている香港「らしくない」動きがあって気になったから。まあ、たまたま安いツアーをめっけたってのがいちばんの理由ですが。

ガイド氏によれば、固い岩盤の上にある香港は地震皆無。なので建築物の耐震基準などあってなきがごとし、なんだとか。震度5クラスの地震で、このへんのビルはすべて倒れマスヨ!と嬉しそうに断言してました

ガイド氏によれば、固い岩盤の上にある香港は地震皆無。なので建築物の耐震基準などあってなきがごとし、なんだとか。震度5クラスの地震で、このへんのビルはすべて倒れマスヨ!と嬉しそうに断言してました

とはいえ、30年も経ってぜんぜん変わってなかったら、その方がおかしな話です。実際、5時間弱飛んで到着した空港からして30年前とは別物でした(※2)。そのやたら巨大な香港国際空港から市内中心地へは、シャトルバスか鉄道で1時間ほど。一歩外へ出るとどんより雲ってやたら蒸しますが、暑いというほどではありません。ガイド氏によると、この時期(3月半ば)の香港は雨降りの毎日で、先週など一度も降りやまなかったとか。振られなかっただけありがたいと思え、といわんばかり(笑。 バスの窓からみると、曇り空のもと、町全体がたっぷり水気を含んで煙っているような案配です。建設ラッシュらしく、灰色の霧の向こうの山の斜面にまで、香港特有の鉛筆みたいに細く背の高いビル(マンションだそうです)がつんつん危なっかしく起ち上がっています。

何処とは言いませんが宿泊したのは、1階にこういうものが飾られているホテルでした

何処とは言いませんが宿泊したのは、1階にこういうものが飾られているホテルでした

これもお決りの、びっくりするくらいのスピードでごんごん飛ばして、バスは昼過ぎには市内に入りました。昼飯もまだでしたが、そのままホテルへチェックイン。――で、まあ。何処とは言いませんが、ネットで見つけたこのホテル。3ツ星半というランクの割に妙に安く、コレ幸いと飛びついたんですが、こういう「お得」には落とし穴が付き物です。いや、最初は良い感じだったんですよ。香港では老舗の部類のホテルだそうで、実際、全般的につくりが大ぶりで、次の間にバーまで付いた2ベッドの立派な部屋はどこもかしこもユッタリして、たいへん結構。だったのですが。やはり年季が入っているんですね、それも相当に。なんつかこう長年できるだけ大きな改修はせずに掃除だけきっちりして騙し騙し使ってきました観満載。まあ、地下にでかいジ●ス●というかイ●ンが入ってることに気付いた瞬間、嫌な予感がしたんですけども(笑)。(※3)

(この項つづく……諸國ふるほん漫遊記のつもりですが、なかなか行き着かない気がしてきました。)

尖沙咀の海っぺり、星光大道のブルース・リー像。敷石には、LAのチャイニーズ・シアター前よろしく香港スターの手形が並んでいます。もちろん發仔のもあります

尖沙咀の海っぺり、星光大道のブルース・リー像。敷石には、LAのチャイニーズ・シアター前よろしく香港スターの手形が並んでいます。もちろん發仔のもあります

※1 日本で公開された作品はほぼ全て観ているはずです。最初の訪港で、香港人のガイド氏にそのことを言ったら「成龍はこっそり結婚してたのがばれて、今はあまり人気ないね!」とにべもない。そうなんですか、じゃ誰が人気なの?「そりゃもう、發仔(※4)だね!」ふぁちゃい?「周潤發!」ふーん!?――それが亜州影帝こと周潤發(チョウ・ユンファ)の名をはじめて聞いた時のこと。結局、わたしは發仔の映画も、日本未公開作も含めて国内で観られるものはほぼ全て観ることになりました。いまでも世界一カッコいい男の中の男といったら、周潤發だと、わたしは思っています。

本文とは関係ありませんが、これが油条をちぎって入れたおかゆ。安くて美味いのです

本文とは関係ありませんが、これが油条をちぎって入れたおかゆ。安くて美味いのです

※2 かつてはビルすれすれに飛行機が飛び交いスリル満点。特に着陸時はILS(広島空港の事故でアレだったアレ)が使えない状態でビルすれすれを急旋回しつつ侵入するしかない。通称「香港アプローチ」と呼ばれるパイロット泣かせ(※5)の難所があった啓徳空港でしたが、ここは1998年に閉鎖され、いまや馬鹿馬鹿しいほど大きい(ターミナル間を専用地下鉄で移動するんだもんなあ)香港国際空港が使われるようになっています。

※3 ●ャ●コというか●オ●さんの名誉のためにいっておきますが、ジ●ス●というか●オ●は、今回遭遇したホテル関係のトラブルとはべつだん何の関係もありません。ありませんが、なんかこう見た瞬間不吉な予感が(笑)。とりあえず●ャ●コというか●オ●自体は中華系総菜がたいへん充実しており、長期逗留者にとっては便利そうでした。まあ、くだんの総菜は実食していないので、美味いかどうかはわからないんですけど。

※4 「發仔」(ファッチャイ)は周潤發の愛称。發ちゃんみたいな感じでしょうか。

※5 この危険きわまりない「香港アプローチ」のカーヴを安全にクリアするため、香港を母港とする某CP航空のパイロットは秘伝の技「Cロールアタック」を編み出し、これを一子相伝で伝えつづけていたのだとか。故にかつては「香港行くならCP航空」といわれていたとかいないとか。

このX嬢がお元気で(いやもちろんそうであってほしいですが)、まかり間違ってこのページを見ることがあったら、さぞかしぶったまげるだろうなあ

この本だけ、表面がサランラップ様の透明なビニルでカバーされていました。そうとうに古く、しかも手作り感満点で、これもX嬢の工夫だったのかもなあ

というわけで。上の写真が本件にかかわる(現時点では)最新にして最後となる資料です。これまでのものとは筆記具が異なり(※1)、文体や書き方も少々違っていますが、やはり「イ」の字を小さく書く「バイト」の字体や、しっぽが短くなりがちな「の」などよく似ています。選んだ本(創元推理文庫の『エラリー・クイーンの事件簿 1』)の趣味からしても同一人物でしょう(※2)。もちろん断定はできませんが、前出『ドラゴンの歯』への「クイーンのおじさま そろそろねたぎれ?」という感想からも、X嬢はかなりのEQファンと思えるし、当時、そんな狭い範囲にEQファンの女子高生がごろごろいて同じように読後感を裏表紙裏に書き、それが同じ古本屋に流れてきた――とは、さすがに考えにくい気がするのです。となれば、これは今まででもっとも手がかりの豊富な資料といえますね。

 

49・5・16

バイトの帰りに近くの本屋で買う。

妹が借りてきていた“森村桂宮殿に住む”を先に読む。

魚住駅でミッちゃんと出会う。

あいかわらず元気。

49・5・28

きょう“森村桂著者近影様”を読んでしまった。

 

固有名詞が出てきました。「森村桂」に「魚住駅」、そして「ミッちゃん」。まず「森村桂」はかつて乙女方面で絶大な人気を誇ったエッセイスト&小説家。わたしは1~2冊しか読んだことがありませんが、当時若い女性に大人気だったのはよく覚えています(※3)。実際、X嬢もせっかく買ったクイーンを後回しにして「妹」に借りた森村桂の本ばかり読んでらっしゃる(※4)。一方、妹さんもまた自分で買って読むくらいの森村ファンであり、お姉さんであるX嬢とその本を貸し借りするくらいなのですから、おそらくはさほど歳も離れておらず、仲も良かったのではないでしょうか? ――つまり、X嬢には「森村桂好きの、歳の近い、そして仲の良い妹」がいた、と推定できます。

次に「魚住駅」と「ミッちゃん」ですが、まず「魚住駅」といえば JR の山陽本線、明石近辺にある駅でしょう。X嬢はこの魚住駅で友人の「ミッちゃん」と出会ったわけですが、「あいかわらず……」という書きかたからすると、再会は逆に久しぶりだったと思われます。では、なぜ久しぶりだったのか? してまた、なぜ「駅」で再会したのか? 思いきって憶測するなら「同じ駅を使っているが、行き先は違っていたから」ではないかと思います。つまり、ミッちゃんは「中学時代はX嬢と同級生だった」けども「卒業後は別の高校あるいは仕事先に通っている」わけですね。では、もうひとつ。2人が再会した「魚住駅」は、2人の自宅最寄り駅なのでしょうか、それとも、通学もしくは通勤先の最寄り駅なのでしょうか。

2人は同じ中学を卒業したのですから自宅も近いはず、というのは無理な推理ではありますまい。ならば自宅の最寄り駅も同じ駅のはず。でも、X嬢が通う高校とミッちゃんの高校(もしくは就職先、以下同)は異なるので、両者の通う高校最寄り駅は別々の可能性がある。というか、「久しぶりの」再会という記述からすると、学校最寄り駅は別々だった可能性が高い。そもそも自宅最寄り駅は同じなのですから、学校最寄り駅まで同じ駅だったら、両者はもっと頻繁に遭遇していたと思うのです。もちろん可能性の問題ですが……ともあれそう考えると、2人が再会したのは唯一の接点である自宅最寄り駅であり、それが魚住駅だったということになる。つまり、X嬢の自宅は明石市内、魚住駅周辺だったと推定できますね。

このX嬢がお元気で(いやもちろんそうであってほしいですが)、まかり間違ってこのページを見ることがあったら、さぞかしぶったまげるだろうなあ。本格読み乙女に幸あれ

このX嬢がお元気で(いやもちろんそうであってほしいですが)、まかり間違ってこのページを見ることがあったら、さぞかしぶったまげるだろうなあ。さあらばあれともあれ(40年前の)本格読み乙女に幸あれ

というわけで。いちおうX嬢のプロファイリング結果をまとめてみます。まず、生まれは昭和32年(1957年)前後で、昭和49~50年(1974~75)頃はJR魚住駅周辺に住まう女子高生でした。魚住駅を利用して高校に通い、勉強はやや苦手だったようですが、時おりアルバイト(書店員ではない)もしながら昭和50年(1975年)春に高三へ進級しました。趣味は読書と刺繍で本格ミステリ好き。特にクリスティとエラリィ・クイーンのファン、他に森村桂や少女漫画誌『マーガレット』も愛読していたようです。また、歳が近く仲の良い妹と中学の同級生のミッちゃんという友だちがいました。――とまあ、こんなところでしょうか。つらつら考えるに、なかなか好ましい乙女ですよね。もしも当時のわたしがX嬢とお話しする機会があったら、同じ本格読み、クイーンファンとして意気投合できたのかも。ここで偶然、当方の顔本友だちやtwitterフォロワにその人がいらっしゃったりすれば話は一段と面白くなるのですが、そうは問屋が卸しますまい。ともあれ、40年前の本格読み乙女の健康と幸福を祈りつつ、この項終了とします。長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

※1 緑色のサインペン様のペンで書いているように見えますが、緑のペンというのはなかなか珍しい気がします。マジックインキかもしれませんが、だとすればそれで本に感想を書き込むというのは、ある意味すごい。かなり豪快な性格でらっしゃったのかもしれません。わたしにはとうていマネできません(笑)

※2 『エラリー・クイーンの事件簿 1』は、もともとクイーンが映画脚本として書いたものを、後に自ら中篇小説に仕立て直した作品2本が収録されています。そのせいかトリック等も使い回されており、正直いってできはイマイチ。クイーンマニア以外、あまり積極的には読まないような作品と思えます。前回のクリスティの短編集もそんな感じだし、裏返せば、これを読むX嬢はかなり重度の本格読みなのでは。

※3 『森村桂文庫』という個人文庫が、それも講談社から数十巻出ていたほどでしたが、今はもうほとんど読まれなくなってしまった感がありますね。たしか十年ほど前に鬱病が悪化してみずから命を絶ったはず。森村桂は軽井沢の某私設天文台の近くに『アリスの丘』というカフェを出店しておられました。その後もご夫君が営業しておられたようですが、1年ばかり前に閉店されたようです。食べログには、まだ載っているんですけどね。

※4 それにしても、別の作家の作品の感想を書き込むというのは、つくづく不思議という大ざっぱというか(笑)。X嬢はこの伝でいろんな本を読み、感想を記していたのでしょうか。もしそうならば、もしかして森村桂の本にクイーンの読後感が書かれてたりもするのでしょうか……探してみようかな(笑)。

「クイーンのおじさま」かあ……。女子高生がそういう呼びかたをしたら絵になるけど、男子校生がたとえばクリスティを「アガサのおばさま」と呼んだら気色悪いよなあ

「クイーンのおじさま」かあ……。女子高生がそういう呼びかたをしたら絵になるけど、男子高生がたとえばクリスティを「アガサのおばさま」とか呼んでも気色悪いだけだよなあ。この差はなんなんだろうなあ

だいぶん間が空いてしまいましたが、とりあえず続けます。ここでもう1冊、新資料の登場です。同じく創元推理文庫(※1)の、みんな大好きエラリィ・クイーン作『ドラゴンの歯』は、いわゆるハリウッドもの(主要舞台はNYですが)長編ですが、恋愛要素が加えられているのはともかく、クイーン作品としてはやや謎解きに不満の残る出来の長編です。そのあたりはX嬢も感じていたようで――。

50.5.4~5

4日に刺しゅうの材料買いました。

5日 毎日雨模様でつまらない

この本あんまりよいできじゃない。

犯人がおもしろくない。

●●●●●●●●が●●●●●●●●であれば

一段といいのになあ。

クイーンのおじさま そろそろねたぎれ?

ミィフの刺しゅうもかなりできました

 米騒動 1918年

 関東大震災 1923年

 第二次 1941年

「そろそろねたぎれ?」とはなかなか辛辣な感想ですが、ネタバレ気味の書き込みはいただけません。まあ、この時点ではX嬢もこれを古本屋に売るなんて考えてもいなかったのでしょう。日付からすると前回から約8カ月後、ゴールデンウィークのさ中の記述のようです。分らないのは、突然登場する「ミィフ」という言葉。X嬢はこれを刺繍したのですから、当時の人気キャラクタか何かでしょうか?「ミッフィー」もしくは「ミィ(リトル・ミィ)」の誤記――というのは強引過ぎますか。では、「ミイフ」ではなく「ミイコ」という解釈はいかがでしょう。ミイコならば、いかにもマンガのキャラクタにありそうなネーミングです。たしか『ドラえもん』にも、そういう名前の迷いネコが出てくるエピソードがあった気がしますが、ドラえもんキャラを女子高生が刺繍するかしらん。

残念ながら「ミイフ」もしくは「ミイコ」の線は、これ以上たどれそうもないので、先に進みましょう。次はこれまた奇妙な3行のメモ。「米騒動」に「関東大震災」、「第二次」は「第二次世界大戦」(※2)のことでしょうか。するとこれは歴史年表の確認用に書いたものかな。――とすれば。例外は多々あるでしょうが、高校の中間試験が5月の中~下旬頃ですから、そろそろ試験勉強で日本史の年号を復習したのかもしれませんね。で、春先に日本史の授業が「二次大戦」まで進んでいるのなら、高一ということはありえません。さらにいえば日本史の授業は2年生から始まる学校が多いので、これは3年生の春と推定できます。つまり、X嬢は昭和50年の春に高校3年生に進級したのです(※3)。

すいません、またしても新資料が出てきたので、もう1回だけ続きます。すぐに続きを更新しますので……。

※1 X嬢は創元推理文庫ばかり読んでいるようですが、この時代、特に地方在住の古典ミステリ読みにはあまり選択肢がなかったんですよね。現在は創元推理とならぶ海外ミステリの雄、ハヤカワ・ミステリ文庫は1976年の創刊。つまりこの翌年の昭和51年の登場。もちろん同じ早川書房のポケミスなら1953年に創刊されていましたが、こちらは地方の小都市ではほとんど見ることができませんでした。実際、中高大を埼玉で過ごした当方は、大学生になるまで新刊書店でポケミスが並んでいるところを観たことがありませんでした。

※2 1941年は「第二次大戦」ではなく(2次大戦が始まったのは1939年)「マレー作戦」と「真珠湾奇襲」の年。つまり「太平洋戦争」が始まった年ですね。

※3 となると、奇しくも私とほぼ同年配ということになります。

前半とインクの色が違います。前半は黒ボールペン、後半部はブルーブラックの万年筆と推定

前半とインクの色が違います。前半は黒ボールペン、後半部はブルーブラックの万年筆と推定

続いて『クリスチィ短篇全集5』の書き込み後半部ですが、こちらはぐっと短めです。インクの色がブルーブラックに変わり、記されたのはたった4行。

 

S49.8.31

負け犬を読んでしまった。

また読んじゃった。

勉強の方は……

 

『負け犬』というのは、この『クリスチィ短篇全集5』に収録された4つの中編の最後の1篇。日付はおそらく読了日でしょう。そして、2~3行目で「読んでしまった」「読んじゃった」と言い方を変えて二度繰り返してみせた詠嘆の深さは、4行目の「勉強の方は……」という一節と考え合わせると、「いまは本など読まずに勉強に集中すべきなのに、わたしったらまた読んでしまった! 意志の弱いダメなわたしってほんと馬鹿!ほんっと負け犬!」との意と思われます。そう考えると8月31日という日付が意味を持ってきます。つまり、これは最終盤にさしかかった夏休みへの嘆きだったのですね。

この推測を補強してくれるのが今回新発見の新資料です。ふたたび南砂の古書店を訪ね、同じ筆跡の本を数冊発見したのです。下の写真がその1冊目ですが、特徴的な「S」の字の筆跡などから同一人物の記述と考えて間違いないでしょう。本はまたしても『クリスチィ短篇全集』……なのですが、なんと『2』。記された購入年月日からして、前記『5』読了直後の購入でしょう。となると残念ながら前回の推理は大はずれ。X嬢は1巻から順に読んできたのではなく、たまたま手に取って読んだ『5』が面白かったから『2』を買ったということになる。こういう行き当たりばったりの読み方が、当方にはなかなか理解できません――が、それはそれとして、このメモ自体いささか奇妙です。

これもインクの色が、前半=黒で後半=ブルーブラック。意図的なものでしょうか?

これもインクの色が前半=黒で後半=ブルーブラックと変化。そういうマイルールなのでしょうか?

S49.8.31+1=S49.9.1

Today is Sunday

I go to……

I’m very tired

S49.9.2

宿題もせずに、のん気に本など読んで

オーオ……どうしよう。アーン

 

「アーン」って、キミ……。転記するのが恥ずかしくなるような乙女の叫びですが、注目すべきはまず冒頭の不思議な日付の記述「S49.8.31+1=S49.9.1」です。えらく回りくどいですが、これは「31日から1日経って9月1日」という思い入れの現われですかね。学生さんが「9月1日」にこだわるのは分ります。「おお、なんてこと!もう9月1日よ!」ってことでしょうから「アーン」もやむなしです。しかしながら、実はこの「9月1日」は登校日ではありません。日付下の英文記述では「Sunday」となっており、昭和49年のカレンダーを調べてみると間違いなく日曜日。つまり、新学期は翌2日からだった、ということになります。まあ、それでも記述に矛盾はありません。

では、新学期の準備に勤しむベき始業式前の日曜に、X嬢はどこへ出かけたのでしょうか。宿題は終ったのかな、キミは? とうていそうは思えませんが、にもかかわらず嫌々出かけ、あげくどえらく疲れて帰ってきたというのですから、この日のお出かけは、28日にも呼び出されていた謎のアルバイトでしょう(※1)。それがいったいどんなアルバイトなのか。推理するには材料が足りませんが、高校生にアルバイトの口があるのだから、X嬢の住まう町はそこそこ都会であるような気がしますね(※2)。とにかくそのあげく、新学期も始まろうという9月2日に日付が変わったばかりの真夜中に、それでも宿題をやらずクリスティを読んでいるのですから、X嬢はあまり勤勉な学生とはいえそうもありません。少なくとも受験を前にした3年生ではなさそうです(※3)。

 

※1 根拠があるとは言えない憶測

※2 憶測を本にしたあてずっぽう

※3 あてずっぽうに基づく決めつけ

 

たぶんあと一回で終れると思います。

購入日のメモと思われる上半分の記述。本書購入の経緯を書こうとして、その遠因となった出来事の愚痴まで書いておられる。よっぽど「いやんなっちゃ」ったんでしょう(笑)

購入日のメモと思われる上半分の記述部分アップ。本書購入の経緯を書こうとして、その遠因となった出来事と、その愚痴まで書いておられる。よっぽど「いやんなっちゃ」ったんでしょう(笑)

謎めいた逆署名本の主さんは、いったいどういうひとなのか。もう少し推理という名の憶測を重ねていきます。といっても、プロファイリングの資料はやはり、このクリスチィに記された書き込みしかありません。まずは前半部分に注目し、以下に転記してみましょう。

S29 8.28

バイトに来いと電話があったのダ。

最後まで残されてまあ、ほんと、

いやんなっちゃうわ。

帰りに買ったの。

きょう、モナリザバッチが当ったの。

確たる根拠はありませんが、署名の主は女性でしょう。それもかなり若い。予定してなかったアルバイトに呼び出され、あげく残業させられて「嫌になった」、と。そして、憂さ晴らしに『クリスチィ短篇全集5』を買いもとめた、と。「買ったのダ」の「ダ」が、たまらなく昭和の青春です。文章も手跡もやや幼い感じがしますが、クリスチィ短編集の5巻を読むのですから、4巻までは読了済みでしょう。さらに憶測を重ねれば、長編もそこそこ読んでいるのでは? しかも、アルバイトをしているとなれば小中学生とは考えにくい。といって、大学生にしてはやや幼すぎますし、ズバリ高校生ではないかしらん。そう、昭和のJK(※1)です。

一連の文章の後には、何を描いたのか分からない面妖なイラストとサインらしき文字列?が記されています。イラストはおそらく、文中に登場する「モナリザバッチ」ではないか、と想像がつきますが、サインの方はどうにも読めません(※2)。アルファベットを「カッコよくデザイン処理」しようとして、文字が文字でなくなっています。いわゆる「痛サイン」というやつ。当方も覚えがあります。初めて英語を習い、買ってもらった万年筆で筆記体の練習などしているうちに、つい「かっちょいいサイン」的なナニカをこしらえたくなるんですね。後年見返すと、その場で舌噛んで死んじゃいたくなる、恥多き物件です。

本文とは直接関係ないけど、こういう「前持ち主の痕跡が残された本」は「痕跡本」と呼ばれ、コレクターもおられます。興味のある向きは、古沢和宏さんの『痕跡本のすすめ』をどうぞ。面白いですよ

本文とは直接関係ないけど、こういう「前持ち主の痕跡が残された本」は「痕跡本」と呼ばれ、コレクターもおられます。興味のある向きは、古沢和宏さんの『痕跡本のすすめ』をどうぞ。面白いですよ

読めないサインは致し方ありませんが、イラストの方は手がかりになります。よくみると円の中央にキャラクターの顔が描かれ、それを囲むようにアルファベットとカタカナが並んでいます。拡大すると「MARGARET」「モナリザ」と読めます。前者は少女マンガ誌『マーガレット』のことでしょう。1974年頃のマーガレットといえば、『ベルサイユのバラ』が終わり『エースをねらえ!』が始まった頃の全盛期。このカッパみたいなキャラクタにも見覚えがあります。土田よしこ先生の『つる姫じゃーっ!』(※3)です。「モナリザ」というのが分りませんが、つまりこれは『マーガレット』誌が行なった懸賞の景品バッジなのでしょうね。

この項、もう少し続きます。次回は新資料も投入しますよ。

 

※1 使ってみたかった言葉 その1

※2 謎署名が読める、という方は「投稿」でお知らせくださいませ。まあ、回答いただいても、それが正解かどうかは、いまのところ確認しようがないのですが。

※3 Unknown「つる姫」とはこういうキャラクタです。わたしは観たことがありませんが、アニメ化もされていた模様。人気あったんですね。http://youtu.be/FlfxNFfPto4

鉛筆書きの感想がびっしり記された1951年初版のクリスティ『予告殺人』。お名前は分りませんが、メモの内容からかなりの本格原理主義者と分ります

鉛筆書きの感想がびっしり記された1951年初版のクリスティ『予告殺人』。お名前は分りませんが、メモの内容からかなりの本格原理主義者と分ります

署名本とは、その本の著者や訳者、時には挿絵や装画を担当した絵師さんが自筆署名した本のことを言いますが、実はそのどれにも当てはまらない署名本というのもあります。事実、当方は古書店で、その本の著者でも訳者でも絵師さんでもない人物の署名が残る本をたびたび入手しています。だれの署名かといえば、読者。つまり、その本を買って読み、おそらくはそれを古本屋に売り飛ばした人です。もちろん愛書家も蔵書印や蔵書票やらを使う方がいますが、そんな立派なものではなく、たいていは裏表紙の見返しあたりに雑に記された読了年月日と署名。時には、購入した書店名や短い感想まで書き込まれていることもあります。

1981年55版クイーン『レーン最後の事件』を出てすぐ購入し、5日ほどで「読破す」の寿美江さんは、あのトリックににどんな感想を持たれたのでしょう

1981年55版クイーン『レーン最後の事件』を出てすぐ購入し、5日ほどで「読破す」の寿美江さん……あのトリックににどんな感想を持たれたのでしょう。いまもミステリをお読みでしょうか

逆署名本とでも言いましょうか、こういう署名に、古本者なら一度や二度は遭遇した経験がおありでしょう。しかし、よほどの有名人でもない限り、この手の署名は古書価を下げるし美しくもないしで嫌われることが多いようです。でもこういう古本、けっこう多いんですよね。たとえば子どもなら自分の持ち物に名前を書くのは自然だし、おとなでも何かしら「しるし」を残したいという思いはあるでしょう。特に今のようにwebのサービスなどなかった時代、読み終えたその場で、本に感想を書きつける人がいても不思議ではない。――言い訳がましいのですが、実は当方も小中学生時代、読了本へ署名を書きつける悪癖があったのでした。

1974年5月第22版の『クリスチィ短篇全集5』。ポワロものの中篇が4つほど収録されています

1974年5月第22版の『クリスチィ短篇全集5』。ポワロものの中篇が4つほど収録されています

まァ当方の悪癖はどうでもいいわけで、まずは上の写真をご覧ください。これは先日、南砂町の某古書店の店頭百均棚で見つけて買い求めた古本です。タイトルは創元推理文庫の『クリスチィ短篇全集 5』。当方も中学生頃に読了した本でとくだん欲しくはなかったんですが、何気なく裏表紙をひらいてみて、にわかに買う気になりました。愉快な書き込みがあったからです。おそらくこの本を新刊で買った人物が書き付けたものでしょう。よく見ると上半分はこの本の購入記録で下は読了報告のようですが、だとすると奇妙な点があります。購入日はS29 8.28、すなわち昭和29年8月28日。そして読了日はS49 8.31、すなわち昭和49年8月31日。……えーっと。つまり20年かけて読んだということ?

あー、これは関係ないですねー。旧持ち主さんのお子さんが書きつけた落書きでしょう。本は昭和32年10月初版のブルーノ・フィッシャー『血まみれの鋏』

あー、これは関係ないですねー。旧持ち主さんのお子さんが書きつけた落書きでしょう。本は昭和32年10月初版のブルーノ・フィッシャー『血まみれの鋏』

とまあ、引っ張っても仕方がない謎なので、答えてしまいますが、これは単純に「書き間違い」でしょう。同書の奥付は1974年5月の第22版で、つまり昭和49年5月に出た本。ですから、どう転んでも昭和29年に買える筈がない。タイムトラベラー的な誰かが、昭和49年に出た本を買って過去へ飛び、こっそり本屋に並べてこの読者氏に買わせ、読者氏はちょうどその本が出る昭和49年まで積ん読しておいて、という夏への扉的奇譚も楽しいけれど、ここは素直に「S49」を「S29」に書き間違えた、という解釈を取りましょう。しかし、それはそれで不思議な気もするのです。「S49」を「S29」に書き間違え、それを直しもしないというのはなぜなのか。気付かぬ間違いとは思えないのですが……とかなんとか考えているうちに、興味が募ってきました。この読者さん、いったいどんな人物なのでしょうか?   この項、続きます。この後、新たな「資料」を含めていろいろ発見がありまして。