バルバラの謎(完)

【前回までのお話】長々書き継いだ『バルバラの謎』も今回で完結します。半年以上放ったらかしにしていたので、わたしじしん話が見えなくなりかけていて、慌てて読み返したりしました。読者のみなさまにはご面倒でも第1回から読み直しをお勧めします。――ともあれ、長年追い求めた小笠原訳『バルバラ』の底本を、①『ジャック・プレヴェール詩集』(1956年 ユリイカ刊) とⒶ『世界の詩人 : ポケット版 第11』(1967年 河出書房刊)の2冊まで絞込み、さらに前回の推理により答は②と結論。つまり、やなせ氏が『詩とメルヘン』用に参照した『バルバラ』は、1967年刊のⒶ『世界の詩人 : ポケット版 第11』掲載だったのです。後は国会図書館で答えあわせをするだけ、だったはずなのですが。

 

『世界の詩人 : ポケット版 第11』の『バルバラ』頁(コピー)

 

「真理がわれらを自由にする」(※1)国会図書館へ来た利用者がまず一番に目にするこの言葉が、今日はことのほか心に沁みます。わたしも早く自由になりたいものよと一人ごちつつ、パソコン端末設備に向いました。目指すⒶ『世界の詩人 : ポケット版 第11』は本館書庫に収蔵されているとすぐに判明したものの、①『ジャック・プレヴェール詩集』(1956年 ユリイカ刊) の方は劣化が進みすでに閲覧禁止。電子化されたPDF版がデジタル・アーカイヴに収蔵されているとのことです。2冊を比較できないのは残念ですが、わたしの推理が正しければ「真犯人」は河出書房版のはず。そちらだけでも見られれば文句はありません。早速くだんの一冊に出庫要請をかけました。

やがてカウンターへ届けられたその本は、鮮やかな赤いクロス装のコンパクトな本でした。冒頭部にはプレヴェール作品にまつわるイメージ写真頁などもあり、洒落たポケット版という造りです。この可愛らしい本を、若き日のやなせ氏(※2)が手に取ったのでしょうか? とにかく問題は『バルバラ』です。追い続けた『詩とメルヘン』掲載の『バルバラ』は、この赤い本の『バルバラ』と同じはず。イヤ、そうでなければなりません。わたしは、おっかなびっくり当該ページを開き――次の瞬間、脳天から太い氷柱を叩き込まれたような衝撃を覚えました。

思い出せ バルバラ
あの日ブレストはひっきりなしの雨ふりで
雨のなかを
きみは歩いていた ほほえみながら 
花やかに 楽しげに 濡れて光って

そこにあった詩句は、なぜか記憶のバルバラとは決定的に異なるものだったのです。そんなはずはない、と混乱しつつ詩句を追っていくと、違和感とは別に、どこか見慣れた言い回しにも気付きます。まさかまさか……慌てて手元のノートを繰り、転記しておいた「わたしの記憶と異なる小笠原訳バルバラ」と比べてみると、まさにそれと同じ訳ではありませんか!辿り着いたⒶ『世界の詩人 : ポケット版 第11』(1967年 河出書房刊)の『バルバラ』は、②『プレヴェール詩集』(マガジンハウス刊 1991年)や③『プレヴェール詩集』(岩波文庫刊 2017年)と同じ、幾度も失望させられたあの『バルバラ』だったのです。

夏に行った台北でやってた金田一少年のイベント告知の壁画広告(ポスターではなく壁に直接描いたもの)。なんかVRで密室体験できるらしい。(本文とは関係ありません。色のないビジュアルばかりなので無理矢理入れてみました)

 

認めたくはありませんが、②マガジンハウス版『プレヴェール詩集』と③岩波文庫版『プレヴェール詩集』の小笠原訳の系統は、Ⓐ『世界の詩人 : ポケット版 第11』(河出書房刊 1967年)と繋がってしまいました。ならば最初の小笠原訳本である①ユリイカ版 『ジャック・プレヴェール詩集』がⒶ『世界の詩人 : ポケット版 第11』へ受け継がれ、それがそのまま②マガジンハウス版『プレヴェール詩集』へ焼き直され、さらに③岩波文庫版『プレヴェール詩集』へ……という風に、この訳は60年余にわたりさまざまな版元を渡り歩いてきた、ということなのでしょうか。実際、最新の小笠原訳プレヴェールである③の編集付記には「本書は小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』(ユリイカ、一九五六年/河出書房、一九六七年/マガジンハウス、一九九一年)所収の全ての詩篇と…(中略)…を文庫化したもの」とあるのですから。

しかし、だとしたら『詩とメルヘン』掲載の『バルバラ』は、一体どこからやってきたのでしょう?どの書誌にも記録のない幻の『プレヴェール詩集』、小笠原豊樹の別訳たる1冊が、この世のどこかにあるとでも?もちろんそういう可能性も絶対ないとは言えません。がしかし、それはあくまで「そういう本があるはずだ」と推定できるだけで、具体的な根拠など何もないのです。つまり、探そうにも手掛りがない。――もはや万策尽きたか。そう思いかけた所で、ふと「まだ自分の目で確認していない」プレヴェール詩集が1冊だけ残っていたことを思いだしました。最古の小笠原訳本『ジャック・プレヴェール詩集』(1956年 ユリイカ刊)です。

いまさら確かめるまでもない、ことかも知れません。しかし、デジタルなら調べるのも手間ではありません。ここまで来たら、ちゃちゃっと確認して「迷宮入」の判を捺し「未解決」の匣へ放り込んで、すっきり忘れてしまえばいい。その方がセイセイするかもと、気を取り直したわたしはふたたび端末に向い、「国立国会図書館デジタルコレクション」(※3)を起動します。デジタルコレクションながら、この本は館内でしか見られないカテゴリですが、そこはデジタル。一瞬で当該書籍をピックアップし、次の瞬間には『バルバラ』の頁がPC画面いっぱいに広がりました。

1956年 ユリイカ刊『ジャック・プレヴェール詩集』の表紙・『バルバラ』頁・奥付(コピー)
おもいだして バルバラ
あの日のブレストはひっきりなしの雨ふりで
きみはほほえみながら歩いていた
はなやかに うれしげに 光りかがやき
雨のなか

あ・あ・あ・あ・あ・あ・合っとるやないかーい! これはいったいどういうことなのか!?「敗北」を確認するつもりだった最後の探索で、期待もしてなかった「正解」に行き着いてしまったのです。若き日のやなせ氏が読んだのは、この本。小笠原訳プレヴェールとして最も古い①『ジャック・プレヴェール詩集』(1956年 ユリイカ刊)だったのです。この本でやなせ氏は『バルバラ』に触れ、後に『詩とメルヘン』への転載を決めたのです……。さらにいえば、同書が刊行された1956年2月10日以降、Ⓐ『世界の詩人 : ポケット版 第11』刊行の1967年までのどこかの時点で、『バルバラ』は訳者・小笠原豊樹に改訳され、以降全てのプレヴェール詩集では全てこの「新訳」が使われ、旧訳は2度と日の目を見ませんでした。『詩とメルヘン』へのたった一度の再録を除いて。

解けてしまえば、それは実にシンプルな真相でした。長年にわたるわたしの追跡行は、ほとんど無意味な遠回りのための遠回り。まあ、いろいろ面白かったので気にはしませんが、それにしても後発の小笠原訳『プレヴェール詩集』の多くが、底本を1956年刊のユリイカ版『ジャック・プレヴェール詩集』と称しつつ、実際は(少なくとも『バルバラ』については)1967年刊行の『世界の詩人 : ポケット版 第11』から取っていた(としか思えない)件に付いてはちょっぴり気にします。どいつもこいつも「いーかげんじゃのう!」と、これはやや声を大にして言いたいところです。

さあらばあれともあれ。わたしが愛した『バルバラ』は、訳者自身が改訳という手段で葬り去った幻の『バルバラ』でした。もはや新刊書店にあるどの『プレヴェール詩集』でも、それを読むことはできないでしょう。にもかかわらず、この幻の『バルバラ』こそ、真の『バルバラ』なのだと――少なくとも、わたしと故・やなせ氏の意見は一致しているのです。

 

 

※1「真理がわれらを自由にする」は、1948年起案の国立国会図書館法前文「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」からの引用。法案の起案に参画した羽仁五郎氏がドイツ・フライブルグ大学図書館で見た銘文をもとに記されたものであり、そもそもは新約聖書・ヨハネによる福音書の一文に由来する。

※2「若き日のやなせ氏」やなせたかし氏は1919年生まれなので、この本の発刊時点(1967年)はすでに48歳。若いというにはいささか薹が立っていたかも。

※3「国立国会図書館デジタルコレクション」国立国会図書館がデジタル化した資料は、同デジタルコレクションに収録・提供されている。著作権保護期間が満了した資料など一部はWeb経由で公開され、自宅PC等から利用可能。また、国立国会図書館の館内に設置された端末で利用できる資料もある。

※4 まあ、ユリイカ版『ジャック・プレヴェール詩集』の再販時、たとえば第2版のタイミングで現行版へ改訳され、これが以降のプレヴェール詩集の底本になった――という可能性もありますが。

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