前述のとおり、昨今では謹呈本も紙片を挟み込むやり方が主流。「謹呈」とプリントした細長い紙をひょろんと挟み込むだけですから、送る手間は最小限です。とうぜん受け取った方も心置きなく売り飛ばせますし、双方にとって嬉しいシステムといえますが、気合いの入った謹呈本では異なるやり方が採用されます。たとえば便せんや原稿用紙にしっかり手紙をしたためて、謹呈本に挟んで贈るというもの。これなら贈る側の気持ちもしっかり伝わりますし、贈られた側にしても手紙を除けてしまえば、これまた躊躇なく売り飛ばせ、両者Win-Winのめでたい仕組みです。しかし、何らかの事情で、挟み込まれた手紙に気づかず古書店に――というケースもなくはない。
左の写真は、20年ほど前に古本屋で入手した『ミステリーの魔術師 高木彬光・人と作品』(※1)というミステリ研究書と、その本に挟み込まれていた手紙です。ご覧のとおり、これは同書の著者・有村智賀志(※2)から某乱歩賞作家(※3)へ宛てた著書謹呈の私信で、おそらくは同書とともにこの某乱歩賞作家さんへ贈られたものと考えて間違いないでしょう。手紙は、為書き署名の類いもない、きれいな本の見返し部分に挟まれていました。古本屋さんが見逃すはずもない場所ですが、古書価はとくだん高くもなく、この手紙も買取値向上には寄与しなかった模様。当方も探していた本だったので、中は見ないまま買って帰って家でびっくり仰天したくちです。
さて、くだんの手紙によれば、有賀氏はかつてこの乱歩賞作家さんのお宅を訪ね、高木彬光の人生論エッセイ集『占い人生論』(※4)を借用したのだとか。そして、その20年後に高木彬光研究の成果が本になったので謹呈した――という経緯のようです。手紙の記述をみる限りでは、両者の接触はこの1回きりで特に親しい関係というわけでもなさそうで、ですから作家氏が本を処分したのも、まあ仕方ないのかなあと思います。思いますがしかし、私信を挟んだまま流すと言うのはちょっとなあ。くだんの乱歩賞作家さんは、歯ごたえのある本格をお書きになる方だったこともあり、お名前をみた時は少々ショックでした。おそらく何かの拍子に間違って処分本に紛れ込んでしまったのだろう、とは思いますが……そぞろ諸行無常の感が漂いますね。
このように、そのまま古書店に並んでしまうリスクがなくはないものの、取りあえず長めのメッセージを送りたい時は手紙を書くのがふつうのやり方だと思うわけですが……最後に番外的な実例を一つご紹介して終わりにします。左の写真は、樋口卓治さんの『失敗屋ファーザー』という本にいただいたサインとメッセージ。為書きの域を大きく超えた「お礼」を書かれてしまった――もとい書いていただいた署名本です(笑)。ほんの少しだけ辛口の感想を送った結果(※5)でしたが、当たり障りのない賛辞を並べておくべきだったのかなあ、と。まあ、めったにないタイプの署名本なのは確かですし、面白いですよね。がっつり当方の名前も入ってますし古書店に流せるはずもなく、孫子の代まで当家の家宝としていく所存です。
※1 『ミステリーの魔術師――高木彬光・人と作品』。高木彬光の研究書というか評伝で、第44回の日本推理作家協会賞(評論その他の部門)にノミネートされています。ただし受賞したのは竹中労さんの『百怪、我が腸(はらわた)ニ入ル 竹中英太郎作品譜』と徳岡孝夫さんの『横浜・山手の出来事』で、残念ながら有賀作品は受賞を逸しています。関係ありませんが、『横浜・山手の出来事』は、横浜の外国人殺人事件を追った素敵に面白い謎解きノンフィクションでお勧めです。
※2 有村智賀志は、中学校の教諭を務めるかたわら「神津恭介ファンクラブ」の青森支部長を務め、この『ミステリーの魔術師』でデビューされた方。他に長短編の推理小説や童話などの著作もあるミステリ研究家で、2001年に亡くなっています。著作はほとんど地方出版社のものなので入手し難そうですが、「甦る推理雑誌」シリーズの『「エロティック・ミステリー」傑作選』に『ライバルの死』という短編が収録されています。これなら比較的読みやすいかな。探せばあるはずなので、こんど読んでみましょう。
※3 この作家さんご自身、高木彬光とはたいへん縁の深い方(こう書けば分る方はもうお分かりでしょうね)で、その関係もあって『占い人生論』なんて異色の本も持っておられたのでしょう。しかし、だとしたら、高木の評伝を書いた高木彬光研究家の有賀氏がこの作家さんを取材していなかったのは、何だか不思議な気がします。まあ、本を借りに行った時に、話は聞いたのでしょうが。
※4 本格ミステリの巨匠である高木彬光氏は易占に詳しく、これはその方面の蘊蓄を活かした人生論エッセイ。同氏が処女作にして代表作の『刺青殺人事件』を占い師に促されて執筆したというエピソードは有名ですが、ほかにも2人の女性を両天秤にかけて占いで選んだり進路を決めたり等々、半端ないエピソードがどっさり。『刺青』のモデル女性に纏わる秘話や探偵作家クラブ内の確執など生々しい話もポロポロ出てきて、下世話な意味でも興味深い本です。
※5 出版社が行う、多くは新人作家さんのプロモーションの一環で、出版前に熱心な読者に件の新刊のプルーフを読ませて感想を募り、良い感じのそれは帯の惹句その他に活用しようという企てがあります。で、その謝礼がわりにサイン本がいただけるという仕組みです。