【前回までのお話】長々書き継いだ『バルバラの謎』も今回で完結します。半年以上放ったらかしにしていたので、わたしじしん話が見えなくなりかけていて、慌てて読み返したりしました。読者のみなさまにはご面倒でも第1回から読み直しをお勧めします。――ともあれ、長年追い求めた小笠原訳『バルバラ』の底本を、①『ジャック・プレヴェール詩集』(1956年 ユリイカ刊) とⒶ『世界の詩人 : ポケット版 第11』(1967年 河出書房刊)の2冊まで絞込み、さらに前回の推理により答は②と結論。つまり、やなせ氏が『詩とメルヘン』用に参照した『バルバラ』は、1967年刊のⒶ『世界の詩人 : ポケット版 第11』掲載だったのです。後は国会図書館で答えあわせをするだけ、だったはずなのですが。

 

『世界の詩人 : ポケット版 第11』の『バルバラ』頁(コピー)

 

「真理がわれらを自由にする」(※1)国会図書館へ来た利用者がまず一番に目にするこの言葉が、今日はことのほか心に沁みます。わたしも早く自由になりたいものよと一人ごちつつ、パソコン端末設備に向いました。目指すⒶ『世界の詩人 : ポケット版 第11』は本館書庫に収蔵されているとすぐに判明したものの、①『ジャック・プレヴェール詩集』(1956年 ユリイカ刊) の方は劣化が進みすでに閲覧禁止。電子化されたPDF版がデジタル・アーカイヴに収蔵されているとのことです。2冊を比較できないのは残念ですが、わたしの推理が正しければ「真犯人」は河出書房版のはず。そちらだけでも見られれば文句はありません。早速くだんの一冊に出庫要請をかけました。

やがてカウンターへ届けられたその本は、鮮やかな赤いクロス装のコンパクトな本でした。冒頭部にはプレヴェール作品にまつわるイメージ写真頁などもあり、洒落たポケット版という造りです。この可愛らしい本を、若き日のやなせ氏(※2)が手に取ったのでしょうか? とにかく問題は『バルバラ』です。追い続けた『詩とメルヘン』掲載の『バルバラ』は、この赤い本の『バルバラ』と同じはず。イヤ、そうでなければなりません。わたしは、おっかなびっくり当該ページを開き――次の瞬間、脳天から太い氷柱を叩き込まれたような衝撃を覚えました。

思い出せ バルバラ
あの日ブレストはひっきりなしの雨ふりで
雨のなかを
きみは歩いていた ほほえみながら 
花やかに 楽しげに 濡れて光って

そこにあった詩句は、なぜか記憶のバルバラとは決定的に異なるものだったのです。そんなはずはない、と混乱しつつ詩句を追っていくと、違和感とは別に、どこか見慣れた言い回しにも気付きます。まさかまさか……慌てて手元のノートを繰り、転記しておいた「わたしの記憶と異なる小笠原訳バルバラ」と比べてみると、まさにそれと同じ訳ではありませんか!辿り着いたⒶ『世界の詩人 : ポケット版 第11』(1967年 河出書房刊)の『バルバラ』は、②『プレヴェール詩集』(マガジンハウス刊 1991年)や③『プレヴェール詩集』(岩波文庫刊 2017年)と同じ、幾度も失望させられたあの『バルバラ』だったのです。

夏に行った台北でやってた金田一少年のイベント告知の壁画広告(ポスターではなく壁に直接描いたもの)。なんかVRで密室体験できるらしい。(本文とは関係ありません。色のないビジュアルばかりなので無理矢理入れてみました)

 

認めたくはありませんが、②マガジンハウス版『プレヴェール詩集』と③岩波文庫版『プレヴェール詩集』の小笠原訳の系統は、Ⓐ『世界の詩人 : ポケット版 第11』(河出書房刊 1967年)と繋がってしまいました。ならば最初の小笠原訳本である①ユリイカ版 『ジャック・プレヴェール詩集』がⒶ『世界の詩人 : ポケット版 第11』へ受け継がれ、それがそのまま②マガジンハウス版『プレヴェール詩集』へ焼き直され、さらに③岩波文庫版『プレヴェール詩集』へ……という風に、この訳は60年余にわたりさまざまな版元を渡り歩いてきた、ということなのでしょうか。実際、最新の小笠原訳プレヴェールである③の編集付記には「本書は小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』(ユリイカ、一九五六年/河出書房、一九六七年/マガジンハウス、一九九一年)所収の全ての詩篇と…(中略)…を文庫化したもの」とあるのですから。

しかし、だとしたら『詩とメルヘン』掲載の『バルバラ』は、一体どこからやってきたのでしょう?どの書誌にも記録のない幻の『プレヴェール詩集』、小笠原豊樹の別訳たる1冊が、この世のどこかにあるとでも?もちろんそういう可能性も絶対ないとは言えません。がしかし、それはあくまで「そういう本があるはずだ」と推定できるだけで、具体的な根拠など何もないのです。つまり、探そうにも手掛りがない。――もはや万策尽きたか。そう思いかけた所で、ふと「まだ自分の目で確認していない」プレヴェール詩集が1冊だけ残っていたことを思いだしました。最古の小笠原訳本『ジャック・プレヴェール詩集』(1956年 ユリイカ刊)です。

いまさら確かめるまでもない、ことかも知れません。しかし、デジタルなら調べるのも手間ではありません。ここまで来たら、ちゃちゃっと確認して「迷宮入」の判を捺し「未解決」の匣へ放り込んで、すっきり忘れてしまえばいい。その方がセイセイするかもと、気を取り直したわたしはふたたび端末に向い、「国立国会図書館デジタルコレクション」(※3)を起動します。デジタルコレクションながら、この本は館内でしか見られないカテゴリですが、そこはデジタル。一瞬で当該書籍をピックアップし、次の瞬間には『バルバラ』の頁がPC画面いっぱいに広がりました。

1956年 ユリイカ刊『ジャック・プレヴェール詩集』の表紙・『バルバラ』頁・奥付(コピー)
おもいだして バルバラ
あの日のブレストはひっきりなしの雨ふりで
きみはほほえみながら歩いていた
はなやかに うれしげに 光りかがやき
雨のなか

あ・あ・あ・あ・あ・あ・合っとるやないかーい! これはいったいどういうことなのか!?「敗北」を確認するつもりだった最後の探索で、期待もしてなかった「正解」に行き着いてしまったのです。若き日のやなせ氏が読んだのは、この本。小笠原訳プレヴェールとして最も古い①『ジャック・プレヴェール詩集』(1956年 ユリイカ刊)だったのです。この本でやなせ氏は『バルバラ』に触れ、後に『詩とメルヘン』への転載を決めたのです……。さらにいえば、同書が刊行された1956年2月10日以降、Ⓐ『世界の詩人 : ポケット版 第11』刊行の1967年までのどこかの時点で、『バルバラ』は訳者・小笠原豊樹に改訳され、以降全てのプレヴェール詩集では全てこの「新訳」が使われ、旧訳は2度と日の目を見ませんでした。『詩とメルヘン』へのたった一度の再録を除いて。

解けてしまえば、それは実にシンプルな真相でした。長年にわたるわたしの追跡行は、ほとんど無意味な遠回りのための遠回り。まあ、いろいろ面白かったので気にはしませんが、それにしても後発の小笠原訳『プレヴェール詩集』の多くが、底本を1956年刊のユリイカ版『ジャック・プレヴェール詩集』と称しつつ、実際は(少なくとも『バルバラ』については)1967年刊行の『世界の詩人 : ポケット版 第11』から取っていた(としか思えない)件に付いてはちょっぴり気にします。どいつもこいつも「いーかげんじゃのう!」と、これはやや声を大にして言いたいところです。

さあらばあれともあれ。わたしが愛した『バルバラ』は、訳者自身が改訳という手段で葬り去った幻の『バルバラ』でした。もはや新刊書店にあるどの『プレヴェール詩集』でも、それを読むことはできないでしょう。にもかかわらず、この幻の『バルバラ』こそ、真の『バルバラ』なのだと――少なくとも、わたしと故・やなせ氏の意見は一致しているのです。

 

 

※1「真理がわれらを自由にする」は、1948年起案の国立国会図書館法前文「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」からの引用。法案の起案に参画した羽仁五郎氏がドイツ・フライブルグ大学図書館で見た銘文をもとに記されたものであり、そもそもは新約聖書・ヨハネによる福音書の一文に由来する。

※2「若き日のやなせ氏」やなせたかし氏は1919年生まれなので、この本の発刊時点(1967年)はすでに48歳。若いというにはいささか薹が立っていたかも。

※3「国立国会図書館デジタルコレクション」国立国会図書館がデジタル化した資料は、同デジタルコレクションに収録・提供されている。著作権保護期間が満了した資料など一部はWeb経由で公開され、自宅PC等から利用可能。また、国立国会図書館の館内に設置された端末で利用できる資料もある。

※4 まあ、ユリイカ版『ジャック・プレヴェール詩集』の再販時、たとえば第2版のタイミングで現行版へ改訳され、これが以降のプレヴェール詩集の底本になった――という可能性もありますが。

【前回までのお話】小笠原豊樹訳のプレヴェール作品『バルバラ』を追って国会図書館へ辿り着いたわたしは、ついに44年前にこの詩と出会った『詩とメルヘン』と再会する。しかし、そこにあった『バルバラ』の詩句はさらなる謎を生み出したのだった。

『詩とメルヘン』1974年3月号。大判で華やかで書店店頭で大いに目立つ表紙、しかも『詩とメルヘン』というタイトル。──男子が買うにはエロ本購入と同等の勇気が必要でした

問題がややこしくなってきたので、いったん整理してみましょう。  そもそもは44年前、『詩とメルヘン』に掲載されたプレヴェール作小笠原豊樹訳の『バルバラ』に始まります。わたしが愛したその詩は、発刊時期等の条件から1956年刊のユリイカ版『ジャック・プレヴェール詩集』から転載されたものと(ユリイカ版そのものの内容は未確認のまま)推定していました。①「1956年刊ユリイカ版」→②「1991年マガジンハウス版」→③「2017年岩波文庫版」という流れ(ユリイカ系統本)で刊行が進み、『詩とメルヘン』掲載の『バルバラ』も、この①から採られたと考えていたのです。


ところが、後にこのユリイカ版を底本とする2冊の新版──マガジンハウス版『プレヴェール詩集』(1991年刊)と岩波文庫版『プレヴェール詩集』(2017年刊)収録の『バルバラ』を確認してみると、わたしの記憶(=『詩とメルヘン』版)と訳が大きく異なっていることが明らかになりました。いかんせん、当時の筆者にとって「同じ訳者による別訳」という可能性はどうにも考え難く、ユリイカ系統本との違いが確認されたからには「わたしの記憶の方が間違っていた!」という結論を出すしかありませんでした。

『詩とメルヘン』1974年3月号『エッセイ・星屑ひろい』末尾。このエッセイ冒頭と末尾に『バルバラ』の一節が掲載されました。冒頭は大活字、末尾は本文と同級の活字で


つまり……『詩とメルヘン』に転載されたユリイカ系統本の『バルバラ』を読んだのわたしは、しかし、長年月のうちにそれと気づかぬまま記憶を改変してしまった、という解釈です。ところが、それを確認するために訪れた国会図書館で見た『詩とメルヘン』掲載『バルバラ』は、なんとわたしの記憶通り。ユリイカ系統本の訳とは異なる訳文だったのです。つまり『詩とメルヘン』掲載『バルバラ』は、ユリイカ系統本とは別系統の『バルバラ』。同じ訳者による別訳『バルバラ』だった、ということになるわけです(<イマココ)。


『バルバラの謎』(中)での検証時、そんな別訳本の存在には気づきませんでしたが、現に小笠原訳とされる2種の『バルバラ』が在る以上、存在は否定できません。考えてみれば『バルバラの謎』(中)で紹介した小笠原訳プレヴェール本の一覧は、Wikipediaの記述に基いてこしらえたもの。信頼性十分とはいえないでしょう(※1)。そこで思いついたのが、国会図書館の蔵書検索です。むろん国会図書館だって前述の通り全ての本が網羅されているわけではないけれど、少なくともこれでヒットした本は、そのまますぐ国会図書館で内容を確認できます。


早速、館外から国会図書館の蔵書を検索できるNDL ONLINEを立ち上げ、『プレヴェール詩集』を検索してみました。するとたちどころに14冊がヒットします。いくらなんでも多過ぎますが、それは小笠原訳以外の訳本も含まれているから(※2)。これらを丁寧に除き、小笠原訳のものだけを残していくと、結局、残ったのは4冊でした。すなわち── 

 ①『ジャック・プレヴェール詩集』 ユリイカ刊 1956年
Ⓐ『世界の詩人 : ポケット版 第11』 河出書房刊 1967年←NEW!
②『プレヴェール詩集』 マガジンハウス刊 1991年
③『プレヴェール詩集』 岩波文庫刊 2017年 

1冊だけ見慣れないタイトルがありますね。①の11年後に河出書房から出たという『世界の詩人 : ポケット版 第11』です。タイトルからして、どうやら『世界の詩人』という詩歌の全集本の一冊のようで、これはそのポケット版でしょうか。詳細を見ると、たしかにこれも小笠原豊樹の翻訳となっています。

 

ということは、この『世界の詩人 : ポケット版 第11』こそが『詩とメルヘン』掲載『バルバラ』の転載元である可能性が非常に高い。『詩とメルヘン』への『バルバラ』掲載(1974年)以前に存在した小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』は①とⒶの2冊しかなかったわけで。訳の違いで①が否定されるなら、「2ー1=1」でⒶが答でなければ理屈が通りません。つまり、Ⓐこそ①→②→③のユリイカ系統本とは異なる別系統──河出書房系の小笠原訳『プレヴェール詩集』だったはずなのです。

 

こう考えればいろいろ辻褄が合ってきます。たとえばⒶの刊行年1967年は『詩とメルヘン』掲載(1974年)の7年前で、やなせ氏も参照しやすかったはず。また『バルバラ』と同時掲載の『子どものための冬の唄』は①に収録されておらず(※3)、この点からもⒶ以外ありえなかったのです。では、なぜⒶはWikiに載っていなかったのでしょうか? 真相は不明ですが、『世界の詩人 : ポケット版 第11』というタイトルに「プレヴェール」の名が入っていなかったため検索漏れされた──と考えるしかないでしょう。とにかく、あとは国会図書館で①とⒶの内容を確認し、答え合わせするだけです。

 


これがファイナルアンサーだ、と思ったのですが……そうは問屋が卸しません(※4)。次回、完結予定。

 

※1 <自分で云うな。
※2 ちなみに小笠原以外の『プレヴェール詩集』としては、以下5人の方々の訳書がありました。平田文也、
渡部兼直、北川冬彦、大岡信、嶋岡晨(敬称略、順不同)小笠原さんもそうですが、やはり詩人が多いで
すね。
※3 ①の収録作は「NDL ONLINE(国立国会図書館オンライン)」で確認できます。作品そのものにはアク
セスできませんが、収録作は確認できるのです。
※4 わたしのスットコ探偵ぶりもそのまま書いてきたので、もうすでに真相にお気付きの方もおられましょ
う。ですが、そこは武士のナサケで、ぶっちゃけるのは今しばらくお待ちください。

【前回までのお話】『詩とメルヘン』の『バルバラ』掲載号の特定作業は、1974年〜1980年まで絞り込んだ所で手詰まりとなり、わたしは自分の目でそれを確かめることを決意する。目指すは国立国会図書館である。

冬枯れの国立国会図書館。基本的には日本国民なら誰でも利用できる。初めて利用する時は登録申請して登録者カードをこしらえましょう。身分証があれば15分程度でできたはず


雑誌を探すなら『大宅文庫』(※1)かとも思いましたが、ウチから行くには国会図書館(※2)の方がだんぜん便利がいい。しかも、なんたって閲覧だけならタダだし、6階の食堂の図書館カレー(※3)もコスパ抜群です。また、『NDL ONLINE』(※4)を使えば図書館外から蔵書検索できるので、事前に必要な書籍の有無を確認でき、無駄足を踏む心配もありません。早速、『詩とメルヘン』で検索をかけてみると──ありました。どうやら6〜7冊ずつ合本されて収蔵されているようです。


そうと分かれば、ぐずぐずしていても仕方ありません。ちょうど仕事でも調べモノがあったので、合わせてやっつけてしまおうと翌日ただちに出動しました。目指すは「永田町」駅(「国会議事堂前」も可)です。入口横でコインロッカーに荷物を預け、筆記用具と貴重品だけ持って自動改札みたいな入口を登録者カードで通過します。館内はなかなかの混みようですが、空いているPC端末席があったのですかさず腰を下ろし、前日に事務所のMacで調べてマイページのリストに入れておいた『詩とメルヘン』合冊本の閲覧請求をかけました。


20分ほどして届いたのは、電話帳並に分厚く馬鹿でかい本が2冊。もちろん最も疑わしい時期……1974年刊行の11冊を2つに分けて合冊した二分冊です。前述の通り『詩とメルヘン』はA4判と大きく、用紙も発色の良い分厚い紙を使っているため、50ページそこそこの中綴じ本なのに重量級です。これを5〜6冊集めて立派な表紙までつけた合冊本は滅法界重くて、でかくて、扱いづらいこと夥しい(※5)。とにかく一冊目、1ページずつ目を通す時間もなかったので、各号の目次ページで『バルバラ』のタイトルを探していきました。

『詩とメルヘン』1974年3月号の目次ページ。これは後日古書店から入手した同書です(図書館内は撮影禁止なのです)。あ、コピーは取ってもらえるんですけどね。有料ですけど


──ところが、ないのです。『バルバラ』の名がどこにもない。例の疑わしい74年3月号も、目次にあるプレヴェール作品は前記の3篇のみ。もう一冊の合冊本に至ってはプレヴェールの名はどこにもありません。つまり『バルバラ』掲載号は、それより後の1975年以降の号ということになる……わけですが、これはわたしにとって容易に納得し難い結論です。『詩とメルヘン』を読み始めて、わりとすぐ『バルバラ』にぶち当ったからこそ、男子が購入するにはハードルが高いこの雑誌を、わたしは買い続けることができたのではなかったか。


これはどういうことなのか? いまも目を閉じれば、あの『バルバラ』掲載ページの様子が瞼の裏に浮かびます。「ああ バルバラ 戦争とはなんたるいやらしさ」と大活字で組まれた迫力満点の冒頭が──と、ここまで慨嘆したところで、ふと違和感を覚えました。『バルバラ』という詩の冒頭は「おもいだしてバルバラ」です。なのに、なぜ瞼に浮かぶページ冒頭が「ああ バルバラ」なのでしょうか? 慌てて再度74年3月号の目次を開きます。プレヴェール作の『劣等生』の前に『エッセイ・星くずひろい』という項が……。

『詩とメルヘン』74年3月号の『エッセイ・星くずひろい』冒頭


そのページを開くと、いきなりドカンと特大の活字がならんでいます。「ああ バルバラ 戦争とはなんたるいやらしさ」。ああ、これです。このページが全ての始まりだったのです。これほど印象的な『バルバラ』なのに見つけられなかったのは、これが1篇の詩として掲載されたのではなく、エッセイ中で部分的に引用されていたものだったから。だから『バルバラ』は掲載作品として名前が上がることはなく、目次にも載らなかったのです。──やなせ・たかし氏による、これはまことに見事なミスリードだったといえるでしょう(笑)


こうして『バルバラ』掲載誌の特定は完了しましたが、同時に新たな謎が出現しました。『詩とメルヘン』74年3月号の『エッセイ・星くずひろい』で紹介された小笠原豊樹訳『バルバラ』は、ほぼわたしの記憶通りだったわけで。つまり、入手済みの小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』2冊の『バルバラ』とは、明らかに訳文が異なっています。調べてみると3月号掲載のその他のプレヴェール作品も、同じく微妙に訳文が違っていました。つまり、プレヴェール作品の小笠原豊樹訳は2種類ある、ということになるわけです。


これはいったい、どういうことなのでしょうか?  『バルバラの謎』(又)へ続く

 

※1 大宅壮一文庫:ジャーナリスト・ノンフィクション作家として知られる大宅壮一の雑誌コレクションを基に作られた「雑誌の図書館」。雑誌約1万種78万冊を収蔵する。利用するには会費を払って賛助会員になる必要がある。
※2 国立国会図書館:国会議員と日本国民のためのわが国唯一の法定納本図館。納本制度に基づき、国内で出版された全出版物を収集・保存している。建前としては全部ある、ことになっているが、必ずしもそうとは限らない。
※3 図書館カレー:簡単にいえば牛丼とカレーの合い盛り。普通に美味しくボリューミーで570円。この「図書館カレー」という名称は、かつてこの食堂名物だった「国会丼」に由来する。カレーと牛丼の合いがけドンブリで大人気だったが、食堂の業者変更により消滅。新業者が器を変えて「図書館カレー」と名付けた由。ちなみに「国会丼」という名称もいわく因縁ありますが、このスペースには書ききれません。なお、図書館カレーは、配膳用のお盆へダイレクトにカレーを盛ったみたいな『メガカレー』という人外メニューもあります。
※4 NDL ONLINE(国立国会図書館オンライン):Web経由で国立国会図書館のオンラインサービスが受けられる。
※5 ぜひとも写真でお見せしたいところなのですが、国会図書館内は撮影禁止なのです。そりゃそうだわな。

岩田宏(小笠原豊樹)のエッセイ集『渡り歩き』。ヒントを求めてこんな本まで手を出してしまいました。ちなみに「岩田宏」はペンネーム、いかにもそれ風の「小笠原豊樹」が本名

 

【前回までのお話】念願の小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』を入手したわたしだったが、そこに収録されていた『バルバラ』は、意外にも憶えているものとはまったく異なっていた。自身の記憶そのものを疑ったわたしは、謎の出発点である『詩とメルヘン』を入手しようと動き出す……。


『詩とメルヘン』の『バルバラ』掲載号を入手するには、当然まず、それが「何年何月発行の『詩とメルヘン』だったのか?」特定する必要があります。しかし、これは云うほど簡単なことではありません。もちろん国会図書館なりへ行って端から全冊調べ上げてしまえば良いのでしょうが、正直そんな時間も余裕もない。ムシのいい話ですが、できればWebでちゃちゃっと掲載号を洗い出し、古書通販で狙い撃ちで購入してしまいたい、というところが本音なのです。(※1)


この特定作業を行うには『詩とメルヘン』各号の掲載作タイトルを網羅した総索引的なものが必要です。しかし、そんな都合の良いものは見あたりません。そもそもこの『詩とメルヘン』はWeb上にも情報がきわめて少なく、版元のサンリオ出版のページには紹介記事は見あたらないし、ファンの研究サイトも発見できず、Wikipediaには項目自体が存在しません。多少なりとも情報があるのは「香美市立やなせたかし記念館」(※2)のWebページ、そして某古書店の「詩とメルヘン」Web通販カタログページでした。


わたしが注目したのは後者でした。そこには初期の号を中心に、数十冊の『詩とメルヘン』の書影と各号の内容が掲載されていました。といっても載っている号は全体の半分もなく、収録作の紹介もごく一部。紹介文も簡易なもので全貌を掴むことなど不可能です。しかし、何しろ他に手掛りがないので、「載っていればラッキー」くらいの気分で目を通していくと、創刊翌年の1974年1月号(通巻6号)の項で眼が止まりました。大きな紙飛行機で朝焼けの空を飛ぶカップルを描いた(※3)表紙絵に見覚えがあります。


これ以前の表紙はどれも記憶になく、逆に以降の号はどれもはっきり憶えています。さらに見ていくと、そんな風に見覚えある表紙は1980年まで続き、1981年頃の号からは初めてみる表紙絵ばかりになります。つまり、この表紙絵に見覚えのある期間(1974年1月号〜1980年頃)こそ、わたしが『詩とメルヘン』を購入していた時期なのでしょう。この推定は前述の「大学卒業時に『詩とメルヘン』を処分した」記憶とも矛盾しないので、おそらく正解のはず。ならばわたしは、この期間の『詩とメルヘン』に絞り込んで調べれば良い、ということになります。

 

Web古書店「smokebooks」さんの『詩とメルヘン』コーナーの模様。コンディションなどのデータは当時のもの。現在の在庫・価格等は同サイトであらためてご確認ください


早速、この古書店のWebカタログを1974年1月号分まで遡り、各号の紹介を精査していきました。すると1974年3月号(通巻7号)の項で「プレベール&小笠原豊樹」の名を発見しました。同じ項には『劣等生』や『こどものための冬の唄』、『わたしはわたしよ』といったプレヴェール作品のタイトルも並んでいます。……この号なのでしょうか? しかし、そこにあげられているプレヴェール作品は3作だけで、肝心の『バルバラ』のタイトルは見あたりません。


前述の通り、この紹介は掲載作品名を網羅しているわけではなく、そこに作品名がないからといって、この号に『バルバラ』が載ってないとは限りません。本当は掲載されているのに、説明ではその作品名が省略されてしまった可能性も十分ある。もちろんその後、Webカタログを最後まで確認しましたが、『バルバラ』の名はついにどこにも見つけられませんでした。つまり、『バルバラ』は1974年3月号に載っている可能性がいくらか高いが確実とはいえないし、最悪どの号にも載っていない可能性すら否定できない。──という、曖昧な結論しか出せませんでした。


どうやら『バルバラ』掲載号をWeb上でこれ以上絞り込むのは難しいようです。となれば、後はもう実物をわが目で見て確認するしか方法はありません。その本が確実に存在する場所──たとえば国立国会図書館で。

(『バルバラの謎』(続々)へつづく)

※1 なんだか前回と云ってることが違いますね。
※2 「香美市立やなせたかし記念館」:『詩とメルヘン』を創刊し編集した「生みの親」であり、
 詩人で絵本作家で漫画家でもあったやなせたかし氏の業績を展示した公立美術館。
※3 『詩とメルヘン』の表紙画はやなせたかし氏自身が描いており、毎回、男女の恋人が絵の主
 題となっていました。

【前回までのお話】月刊『詩とメルヘン』で読んだ、小笠原豊樹訳のプレヴェール作『バルバラ』に惚れ込んだわたしは、その詩が載っている本を入手しようと悪戦苦闘する。数年後ようやく、1956年刊行のユリイカ版『ジャック・プレヴェール詩集』がその本であることを突き止めるのだった……。

 

左から 弥生書房版『プレヴェール詩集』(平田文也 訳)、マガジンハウス版『プレヴェール詩集』(小笠原豊樹 訳)、岩波文庫版『プレヴェール詩集』(小笠原豊樹 訳)

ユリイカ版『ジャック・プレヴェール詩集』は、(当時)古書価もなかなかのお値段で、市場でもあまり見かけない本でした。希少というほどではないにせよ、人気の高い本だったのは確かなようです。実際、後にこの詩集は版元を変えて装幀も一新し、新装版として再度刊行されています。前回、小笠原豊樹訳のプレヴェール本として5タイトルを紹介しましたが、そのリストの最後の1冊、マガジンハウス社から1991年に出た『プレヴェール詩集』がその新装版。──そうと分かれば、とっととそれを買えよって話ですが、実はこの新装版もとっくに絶版となっており、これまたそこそこの古書価で取引されるようになっていました。

とはいえユリイカ版に比べれば可愛らしいようなお値段でしたから、三代続いた貧乏人のわたしにも買えなくはない。でも、なんだか腑に落ちないのですよ。長年探した本がちゃちゃっとネットで入手できてしまうなんて結末は。できればこう、どこか最果ての町の忘れられた古本屋で、壊れかけた書棚の最下段に埋もれていた1冊──裏表紙に¥100と書かれたそれを発掘する、というセンでいきたい(笑)。むろん現実にはそんな三文小説風の発見劇などありませんでしたが、その代わり2017年夏、またしても驚きのニュースを耳にしました。なんとまたしても、つまり3度目となる小笠原訳プレヴェール詩集の新版が出るというのです。

その奇特な版元はまさかの岩波書店。つまり、プレヴェール詩集を岩波文庫に収録しようというわけで。ヤデウデシヤです、ウデシヤですがしかし、最初からそうしてくれれば!こんな苦労はせずに済んだのに! 恨み言の一つも言いたいところですが、安価な文庫の新品で読めるならそれに越したことはありません。いまこそ万難を排して買うべし!!と未来惑星ザルドスに誓った次第。かくて発売日当日、わたしは某大型書店の文庫棚で、平積みされた岩波文庫版 小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』を手に取り、早速ピカピカのページを開いて『バルバラ』を探しあてて……しかし次の瞬間、脳天から氷柱を叩き込まれたような衝撃を憶えたのでした。

2017年8月刊 岩波文庫版『プレヴェール詩集』の小笠原豊樹 訳『バルバラ』冒頭部

「思い出せ」だと? そ・ん・な・ハ・ズ・は・な・い!そこは「おもいだしてバルバラ」だろう! しかし、何度読み返しても、そこには「思い出せ バルバラ」とあるのです。目を疑うとはこのことです。本当にこれは小笠原豊樹訳なのか? 若き日のわたしが愛した、小笠原豊樹訳『バルバラ』だというのでしょうか? しかし、奥付を確かめ解説を読みなおしても、それは間違いなく岩波文庫の小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』でした。なかなか伝わりにくいとは思いますが、以下に、わたしが記憶していた(つもりの)小笠原豊樹訳『バルバラ』と、入手した岩波文庫版 小笠原豊樹訳『バルバラ』を並べてみますね。

 

まずわたしが記憶していた『詩とメルヘン』掲載の『バルバラ』冒頭です。

おもいだしてバルバラ
あの日のブレストはひっきりなしの雨ふりで
きみはほほえみながら歩いていた
はなやかに うれしげに 光りかがやき
雨のなか


続いて岩波文庫版 小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』の『バルバラ』。

思い出せ バルバラ
あの日ブレストはひっきりなしの雨ふりで
雨のなかを
きみは歩いていた ほほえみながら
花やかに 楽しげに 濡れて光って

 

2つ並べてみればその違いは明らかです。原文は同じプレヴェール作品でも、この2つを同じ訳者の作品という人はいないでしょう。──だとしたら、これはいったいどういうことなのか? たとえば新版を出すにあたって訳者が訳し直し、詩文を一新した? しかし、岩波本の「編集付記」を見ても、1956年のユリイカ版『プレヴェール詩集』所収の詩編すべてを収録した、とあるだけで、改訳についてはひと言もありません(※1)。……だとすれば、やはり「わたしの記憶違い」という身も蓋もない答が真実なのでしょうか。けれど、わたしには、どうしてもあれらの記憶が、自分の脳みそが都合よくでっち上げた作り物とは思えないのです。

ともあれ、記憶と異なる詩文の小笠原訳『バルバラ』が現実に存在する以上、疑うべきは「わたしの記憶」です。そして、その記憶の真偽を確認するには、『バルバラ』が載っていた『詩とメルヘン』誌面を見てみるしかありません。ところが、前述の通り『詩とメルヘン』はすでに手元になく、『バルバラ』掲載号がどれだったかさえ分かりません。まあ、さほど希少な雑誌ではないので、古本屋で購入するのは難しくはなさそうですが、まさか全冊買うわけにもいきません。となれば、結局のところどうにかして『詩とメルヘン』の『バルバラ』掲載号を特定する必要があるわけです。でも、どうやって?

  (「続」へつづく)

「バルバラの謎」(中)はこちら
「バルバラの謎」(上)はこちら

 

※1 岩波文庫版入手後すぐ、我慢できなくなってマガジンハウス版もネット古書店で購入しました。岩波文庫版がでたことで古書価もだいぶん下がっていたのです。問題の『バルバラ』の詩文は、やはりというか何というか、岩波文庫版とまったく同一でした。

記事の内容とは全く関係のない写真です。台北駅〜雙連駅を結ぶ地下街の「誠品R79」は、誠品書店が展開するエキナカ書店街。ちょうど手塚治虫特集的なイベントを開催中でした

【前回のお話】月刊『詩とメルヘン』で読んだプレヴェールの詩『バルバラ』に惚れ込み、なんとか『プレヴェール詩集』を手に入れようと奔走したわたし。紆余曲折の末にようやく入手したものの、その本は訳者が別人で、収録の『バルバラ』も、わたしが記憶していた詩文とはまったく異なるものだったのでした。

 

いま思えばじぶんの記憶違いという可能性もあったわけですが、当時はとにかく小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』を手に入れねば!という思いこみが先走っていました。けれども『バルバラ』掲載の『詩とメルヘン』にその出典に関する記載はなく、手がかりといえば、作品に添えられたやなせ・たかし氏による短い回想記だけ。それによると、若かりしやなせ氏は大型活字の『バルバラ』を偶然目にして衝撃を受け、「本屋という本屋」を探し回って小笠原豊樹訳『ジャック・プレヴェール詩集』に辿り着いた──と。そうあるだけで、ではその本がどの出版社からいつごろ出たのか、書誌的な情報は何も載っていなかったのです。

自身『バルバラ』探索に苦労したやなせ氏だからこそ、読者に同じ苦労はさせるべきではないよなぁと、恨み言の一つも云いたくなりますが、そもそも『詩とメルヘン』はそうした書誌的なデータへの関心が薄い文芸誌でして。出典は載っていたり載っていなかったり、明確なルールなどおそらく無かったんじゃないかしらん。しかしそうなると、インターネットなど影も形もなかった当時、国会図書館を知らず読書家の先輩もおらず、物事を調べるノウハウを持たなかったわたしなどイキナリ詰んでしまいます。実際、やみくもに本屋巡りをするばかりのきりきり舞いで、嫌気が差し、探索を放り出してしまうまでさほど時間はかかりませんでした。

そんなこんなで。わたしが、あらためて『バルバラ』探索のことを思い出したのは、たしか2000年頃でした。われながらあいだが開き過ぎですが、とりあえず就職したり転職したり創業したり結婚したり子育てしたりで忙しく、バルバラどころじゃなかったというのが正直なところです。それでもバタバタしているうちに仕事を通じてインターネットという道具を入手。それを使ってあっという間に年来の課題を解決してしまいました。すなわち「小笠原豊樹訳の『プレヴェール詩集』は、いつどこから出たものか?」問題の回答です。まず、小笠原豊樹訳のプレヴェール作品は、以下の5タイトルと判明しました(2000年当時)。

 

『ジャック・プレヴェール詩集』ユリイカ(1956年刊)
『唄のくさぐさ』昭森社(1958年刊)
『ホアン・ミロ』昭森社(小海永二との共訳 1966年刊)
『金色の老人と喪服の時計』大和書房(1977年刊)
『プレヴェール詩集』マガジンハウス(1991年刊)

 

わたしが『詩とメルヘン』を買い始めたのは1974年、同誌への『バルバラ』掲載はその直後だったはずです(あやふやなのは、実は『詩とメルヘン』を大学卒業時に全て処分してしまったから。これが後に大問題となるのですが……)。ともあれ『バルバラ』掲載が74〜75年頃ならば、1977年刊の『金色の老人……』や1991年の『プレヴェール詩集』がその出典であるはずがありません。また『ホワン・ミロ』(※1)が刊行された1966年に、やなせ氏はすでに47歳でした。後に54歳で『詩とメルヘン』を発刊した氏が、たった7〜8年前のことを「若かりし日」なんて書くでしょうか? その可能性は低い、とわたしは考えました。

こうして、ターゲットは1956年刊の『ジャック・プレヴェール詩集』と58年刊の『唄のくさぐさ』の2冊に絞り込まれました。2冊くらいならまとめて買ってしまえばよいようなものですが、どちらも古書価は安いとは云えず、本自体なかなかに市場に姿を現しません。ハンティング対象とするにせよ、できれば一冊に絞り込んでおきたいなどとムシの良いことを考えていたら、ふいに幸運が飛び込んできました。なんと問題の『唄のくさぐさ』が新訳され、『歌の塔』(※2)という新タイトルで刊行される由、アナウンスがあったのです。2013年に同書が出版されると、直ちに書店へ走ったのは云うまでもありません。

 

かつて(序詩) Autrefois
動物たちは悲しんでいる Les animaux ont des ennuis
小川 Le ruisseau
お勘定 L’addition
まっすぐな道 Le droit chemin
お祭り(フィエスタ) Fiesta
ある男 Quelqu’un
流れ星 Le metere
沖仲仕の心 Coeur de docker
ランチ Le lunch
あなたが眠っているとき Quand tu dors
外出許可 Quartier libre
トカゲ Le lzard
わたしは待ってる J’attends
配達 L’exp仕ition

 

案の定、同書の目次に『バルバラ』(Barbara)というタイトルはなく、『唄のくさぐさ』もまた「その本」ではないことが確定しました。すなわち、若かりしやなせ氏がひと目みて惚れ込んだ、小笠原豊樹訳『バルバラ』は、1956年にユリイカから刊行された『ジャック・プレヴェール詩集』に収録されたものだったのです。となれば、あとはその本を探せば良いわけで。なんならネット古書店に出品されるのを気長に待っても良いくらいの気分でしたが、そうは問屋が卸しません。迷宮にも似た「バルバラの謎」の謎解きは、むしろここからが本番だったのです。

(つづく)

 

「バルバラの謎」(上)はこちら
「バルバラの謎」(下)はこちら

 

※1 ダダイストの詩人リプモン=デセーニュとの共著で、タイトルはプレヴェールと交流のあったシュルレアリスト画家の名前。してみると評伝なのか、あるいはミロの絵にプレヴェールが詩をつけた詩画集的な本なのか。こちらもいま一つ正体が知れません。

※2 『歌の塔』2013年11月 未知谷刊

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本文とはあまり、というか全く関係のない「宮原眼科」(台中市)のディスプレイ

おもいだしてバルバラ
あの日のブレストはひっきりなしの雨ふりで
きみはほほえみながら歩いていた
はなやかに うれしげに 光りかがやき
雨のなか
…………

 

これはフランスの詩人 ジャック・プレヴェール(※1)の反戦詩『バルバラ』冒頭部の一節です。ブンガクを嗜む人なら愛誦する詩のひとつやふたつあると思いますが、この『バルバラ』は、わたしが好きでよく口ずさんでいた詩のひとつ。ただし、上記はプレヴェール詩集などから書き写したものではなくて、わたしの脳裏に刻み込まれていた記憶をそのまま書き起こしたものです。いえ、手元にはちゃんとプレヴェール詩集が何種類も用意してありますよ。ありますけど、本記事ではまずどうしても、この「記憶の中のバルバラ」を示しておく必要がありました。そこにはもちろん、理由があります。

わたしがプレヴェールを知ったのは、今はなき『詩とメルヘン』。タイトル通り詩とメルヘン専門の文芸誌(※2)でした。当時すでに硬派の本格読みだったわたしには本来縁のない本でしたが、掲載作品にプロ/アマの別がない一風変わった編集方針のもと、毎号巻末で「作品」を募集していたんですね。「若さ」というのは恐ろしいもので。硬派もついふらふらと十代の感傷を砂糖で煮詰めたような痛ポエ厶を綴ってしまい、勢いあまって投稿してしまうという大惨事(※3)。思い出すだに舌噛んで死んじゃいたくなるブラックヒストリーのただなかで、わたしは同誌掲載の『バルバラ』に出会ったのでした。

その衝撃はいまも忘れません。『詩とメルヘン』は文芸誌らしからぬA4サイズの大判雑誌で、その大きな見開きページに詩を一篇だけ配するというような、なんとも贅沢なレイアウトが特徴でした。殴りつけてくるような大活字でゴンゴン組まれた『バルバラ』の詩句はあまりに強烈に胸に迫り、まだ柔らかかった十代半ばの感性はいっぺんにヤラれてしまったのです。同じような読者が多かったのでしょう。同じ号か別の号か忘れましたが、すぐにプレヴェール特集が企画され、また数篇の詩が載りました。これもまたキュートで、気が利いていて、スマートで、なんともかっこよくて。たとえば『劣等生』と題された一篇。

 

あたまは否(ノン)と横にふり
心の中で諾(ウィ)という
愛するものに諾(ウィ)といい
先生には否(ノン)という
起立して 質問されて 問題がすっかり出そろうと
いきなりげらげら笑いだし
何もかも消す 何もかも
…………

 

シビレますよねえ(<死語)。それまで自分が知っていた詩、教科書に載っているような立派な詩とはぜんぜん違う。唄いなれた歌詞のように、口ずさみたくなるリズムと歯切れよい語感がたまらなく心地良くて、たった数篇をくりかえし読み返しました。そうなってくると、今度はだんだん『詩とメルヘン』掲載の作品だけでは物足りなくなってきます。もっとプレヴェールを!というわけですね。実際に書店で探し始めたのは数年後。大学へ進み、古書店などへも出入するようになってからでした。けっこう苦労して見つけたのが、弥生書房の『世界の詩』シリーズの『プレヴェール詩集』でした。まずはもちろん『バルバラ』です。

 

思いお出しよ バルバラ
あの日 ブレストには雨がこやみなく降っていた
きみはほほえみながら歩いてた
はなやかに うれしげに ひかりかがやき
雨の降るなかを
…………

 

なんじゃこらあああ!(<松田優作風に)「思いお出しよ」?「降っていた」?「歩いてた」? 違う違う違ーう! 恥ずかしながら、当時のわたしは「訳者による訳文の違い」を意識していなかったのでしょう。とにかく内容は同じでもこれではまったくの別物です。そりゃもう大変な衝撃でした。確認すると『詩とメルヘン』掲載の『バルバラ』は小笠原豊樹訳、『世界の詩』シリーズの方は平田文也訳。当然、両者は別人で訳詩も別物です。つまり言ってしまえば、わたしの胸を打ったのは、プレヴェールというより小笠原豊樹の訳文そのものだったのですね。──となれば、できることは一つしかありません。

こうして幻の『小笠原豊樹訳 プレヴェール詩集』探索行が始まったわけですが……それがあれほど恐るべき困難と謎に満ちた旅になろうとは、当時のわたしは知る由もなかったのです(笑)。
(つづく)

 

※1 ジャック・プレヴェール:(Jacques Prévert)1900年2月4日〜1977年4月11日。フランスの詩人、童話作家、映画作家。シャンソン『枯葉』の歌詞や映画『天井桟敷の人々』のシナリオ作者としても知られている。

※2『詩とメルヘン』:漫画家・絵本作家・詩人の故やなせたかしの責任編集により1973年に創刊され、2003年に休刊となった詩とメルヘンの文芸誌。プロ/アマを問わない作品掲載が特徴で、公募したアマチュア作品とプロ作品を同列に掲載した。版元はサンリオ出版。

※3 幸いにも1度も入選することなく、まるごとブラックヒストリーとして葬ることができました。

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「霧」が転倒しているのは、それが上から降ってくるという意味? 名物のカレーの匂いがたまりません

どうやらこの方が「伝説の古書店」のご主人のようです。「今日はミニコンサートをやってます。ぜひ聞いていってください」。ありがとうございます。歌も素敵ですが、私はまず本を拝見したいですね。「もちろんご自由に。室内は私設の図書館、外に並べた古本は販売もしています」。図書館? けげんな顔をした私に、ご主人は丁寧に説明してくれました。この文庫は、新聞記者だったご主人が、現役時代に資料として収集した書籍を一般に解放した私設図書館。開館中は誰でも本を選び、ノートに名前を記して借りられる仕組みなのだそうです。古本販売は、ですからあくまで副次的な事業みたいですね。

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「霧降文庫」名物のウッドデッキの古書店ゾーン、奥に立ってらっしゃるのは「風花野文庫」のご主人。なお室内へ入る時は玄関ではなく、写真右手に開いた居間の開口部を出入口がわりに使用します

2012年頃にオープンしたというこの図書館兼古書店は、すぐに地元の知識人・趣味人が集まるようになり、今回のようなミニコンサートなどのイベントを開いたりするうち、エコでロハスでラブ&ピースな地域のコミュニティ拠点になっていった模様です。お客さんの大半は地元の人たちが中心のようですが、たまに迷い込んでくる、わたしのような遠雷の客も、名物のカレーを振る舞われるなど、珍客として歓迎してもらえます。さすがに図書館は地元民でなければ使いにくいですが、それでも元全国紙記者の蔵書には大いに興味があります。勧められるまま、サッシを開けた居間から上がりこませていただきました。

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室内の図書室ゾーン。本棚はこの反対側にもどっさりあります。固めの本が多い感じですね

手作りらしきごくシンプルな書棚というか木箱が危なっかしく積み上げられ、手当たり次第に、という感じで本がつめ込まれています。ざっと見渡したところ、蔵書は社会派ノンフィクションや社会思想・社会科学系に歴史学といった硬派な本が中心のようです。エンタテイメントは古めの国産SFや歴史ものがいくらかあるくらいで、ミステリ系はほとんど見あたりません。また、マンガはけっこうありますが、白土三平や水木しげるなどのガロ系作家の作品が中心。まア、いかにもという感じですね。積み上げられたブックタワーの上に政党ちらしやヘルメットに拡声器が置かれ、その横には読み古されて背が外れそうな『カムイ伝』愛蔵版がずらり。なるほどなるほど。

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外のウッドデッキに並んだ販売用の本たち。つまりこの部分が古書店ゾーンということになりますが、冬場は当然のごとく、寒さでウッドデッキが使えなくなってしまうため、古本も室内に待避させる由

まっとうだけども、わたしにはあまり縁がない書棚かなあ。それでも諦め悪くごそごそしていたら、見かねたご主人が声をかけてくれました。「今日は風花野文庫さん(※4)が出張販売においでです。外の古本棚の横に店を開いてらっしゃるので、そちらもご覧ください」。ありがとうございます、ぜひ。コンサートはすでに終わったらしく客たちは楽しげに雑談中。ウッドデッキの端に背の低い本棚が並べられ、さらに小ぶりな木箱やトランクにまで本が詰められて賑やかに並んでいます。こちらもやや堅めの品揃えながらいくらかエンタメ本も混じっていたので(ミステリは相変わらず見あたりませんが)、わたしもなんとか買い物ができました。

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風花野文庫さんの棚。本だけでなく可愛らしい雑貨なども販売中

というわけで。俗な本読みのわたしには、釣果といえるほどの収穫はありませんでしたが、それでもたいへん楽しく、不思議なひと時を過ごせたことは間違いありません。ほんとうにあんな場所に古本屋があったんだよなあ……と、いまや半ば信じられないような気分さえあります。さあらばあれともあれ。最近はこの「霧降文庫」さんみたいな、エコでロハスな地域コミュニティ的NW古書店さんが増えている気がします。「古本」という商品がエコロジーの思想にフィットするのでしょうか。まあ、それはどうでも良いのですが、そうしたお店は、往々にして(わたしにとって)いまいち棚が面白くないのが困りものです(※5)。だったら行かなきゃいいだけの話なのですが、「だからこそ掘出し物が隠れているのではッ!?」などと。それはそれで、やっぱり浅ましいことを考えてしまうので、どうにも救いようがありません。

 

 

※「上」はこちら

4 「風花野文庫」:宇都宮市の古書店さんらしいのですが、残念ながらわたしは未踏です。風花野文庫さんのブログはこちら

※5 もちろん例外は多々あります。本を大事にしながら地域の情報発進基地的方向を模索しておられる古書店も多く、たいへんセンスの良い棚づくりをされている店も少なくありません。そういうお店にとって文化コミュニティ的活動は古本屋としてのあらたな生存戦略なのかも。

【霧降文庫】

HP:http://nikkosunadokei.cocolog-nifty.com/

所在地:栃木県日光市所野1541−2546

開店日:不定期 (要確認)

開店時間:不定期 (要確認)

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日光・霧降高原(2017年10月)

──それにしても深い森です。見渡すかぎり樹木がみっしり連なり、数メートル先を見通すことさえ難しいのです。木々の多くはすでに色づきはじめ、その赤や黄色に染まった紅葉のおかげで、樹下も思うほど暗くないのが救いでしょうか。かろうじて舗装された山道には、しかし目印らしい目印もなく、曲がったり行き止まったり枝分かれしたり。気まぐれな蛇行を繰り返しています。ときおり木の間に見え隠れする建物といえば、傷み古びた山荘くらいで、古書店どころか店舗らしきものはまったくありません。いや、そもそも人間どころか猫の子いっぴき歩いてないこんな山道に、お店などあるとはとうてい思えません。思えませんが、しかし。わたしはたしかに聞いたのです。古本仙人と呼ばれる古老(※1)から、この山に伝説の古本屋がある、と。

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もいっちょ紅葉。時おり小雨がぱらつく空模様でしたが、紅葉は素晴らしかったです

曰く。良書を求むるひと霧深き山道に迷わば耳澄ますべし。深き淵よりセイレーンの歌響くとき、その声を辿れ。されば緑道に道開きてカレーの香とともにそこはある──と。まあ、こんなアレな語り方ではなかったけれど、おおよそこういった感じの与太に釣られて、ウッカリでかけてきたのが日光。霧降高原(※2)の昼なお暗い山道という顛末です。主眼はあくまで「紅葉狩りと日本酒と温泉」でしたから、伝説の古本屋の方は行けたらラッキー程度の気分で。ナビ任せで走っていましたが、結局は林道をウロウロするばかりで埒があきません。そこでクルマを停めて、漸う地図を確認している時でした。聞えたのです。木の間からかすかな唄声……ローレライの歌(※3)が。

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ひと気のない林道に突如数台のクルマが。「霧降文庫」へのお客様が乗ってきたもの。最寄駅は「東武日光」駅となりますが、歩いてくるのは難しいでしょう。不可能とはいいませんが、お勧めできません

日光の山奥で、女声の悲歌? ありえないでしょう。でも、たしかに聞こえるのです。木の間をきれぎれに、漂うように、それでいて艶やかなこの唄声はプロの唄うそれのようで。別荘の住民がレコードでもかけているのか、とも思いましたが、やがて曲が終わると小さな拍手の音さえ聞こえてくる。これはいったい……すぐにまた、同じ歌い手による別の歌が始まったので、声をたどりたどり木の間を進んでいくと、道脇に数台のクルマが停まっています。見回すと、すぐ横の山の斜面を細い道が縫うように走っているのが見えました。草に覆い隠されているものの、斜面には木の階段が設えられ山頂方向へと伸びています。そして、どうやら歌声もそちらから流れてくるようです。こりゃもう、のぼるしかないでしょう。

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木の階段を数分登っていくとようやく目的地に到着。どう見ても、ふつうの民家なんですけど

草叢をかき分けかき分け階段を数十段。ふいに明るく視界が開けてぽっかり不思議な空間が広がりました。見ると、広いウッドデッキに椅子を並べて数人の人が座り、その客たちに向き合うようにして和装の歌姫とピアノ奏者が一人。皆が笑顔でこちらをみつめています。デッキ奥には童話にでも出てきそうな古びた山荘があり、濃密なカレーの香りが漂っています……。狐につままれたような気分で立ちすくんでいると、ふいに背後から声をかけられました。振りむくと髭をはやした男性がひと懐こい笑顔でみつめています。「いらっしゃい、霧降文庫へようこそ」

(下)へつづく

 

※0 このふるほん漫遊は2017年10月に実施されたものとなります。

1 古本仙人と呼ばれる古老」:特に名を秘す古本のえらい人。

2 「霧降山」:日光市街地北方、女峰山東山麓に広がる樹木鬱蒼たる高原地帯。

3 「ローレライの歌」:なじかは知らねど心侘びて 昔の伝えはそぞろ身に沁む 寂しく暮れゆくラインの流れ 入り日に山々あかく映ゆる

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クアラ・ルンプルの象徴「ペトロナス・ツインタワー」は88階建て452m。1号棟を日本の某ゼネコンが、2号棟を韓国企業が建設。工事の途中、2号棟の垂直性が怪しくなってきたのでとっさに連絡橋をこしらえてやや強引に垂直性を確保したとか。なので頂上の展望台に登った見学者は、まず最初に床へビー玉を置き、その垂直性を確認することがお約束なのだとか。嘘だと思います

2016年の11月の初旬、マレーシアのクアラ・ルンプルへ行きました。当初わたしはこの都市に特段の興味はなく、マレーシアの首都ということさえ知らず、それどころかその語感から「中東方面?」 などと、実にアタマの悪そうなことをボンヤリ考えていました。実際、取材依頼の連絡をいただいた時など、電話口で「おお、ついに中東へ進出ですか!」などと言ってのけ、お客様は電話の向こうで「こんなあっちょんぷりけに頼んでよいのか?」とはげしく困惑した模様でしたが、出発まで余裕がなかったため先方としてはなすすべなく、うやむやのうちに出発日を迎えた次第です。ただ、私の要望も入れて決まったこの取材日程(11月4〜9日)が、後々大きな後悔のタネになろうとは……神ならぬ身の知る由もなかったのでした。

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イスラムな雰囲気の「マレー鉄道事務局ビル」。イギリス統治時代の1917年に建てられた歴史的建造物です。マレー鉄道といえば、ミステリ者にとっては有栖川有栖先生の『マレー鉄道の謎』ですが、同作の舞台となるキャメロン・ハイランドはクアラ・ルンプルから北へ150kmの所にある高原リゾート。「マレーシアの軽井沢」だそうです

成田から直行便で約7時間半、4本目の映画を観きらぬうちに、クアラ・ルンプル国際空港に到着しました。吹き上げるような熱気、濃い緑と原色の花々、林立するぴかぴかの高層ビルに旧植民地時代の重厚な欧風建築が入り交じるなか、さまざまな人種・服装の人たちがわしわし歩いています。熱く雑駁でエネルギッシュな空気は東南アジア共通のものですが、中華圏とはどこか雰囲気が違います。ヒジャブを纏った女性をたくさん見かけますが、同様にサリー姿のインド系女性やTシャツ姿の中国系女性も少なくありません。大きなモスクが拡声器でコーランを流す隣りで、仏教寺院やヒンドゥー教のお寺が香を焚き経をあげている。イスラム教国ながら、この街では、宗教も民族もわりと大ざっぱに共存しているみたいなんですね。無宗教の外国人旅行者にとっては、このごった煮感がなかなか心地良いのです。

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チョーキット市場で肉を買うマレー人女性たち。イスラム教徒である彼女らが頭を覆っているのが「ヒジャブ」。思いのほかカラフルで、着こなしもさまざま。口元を隠したり出したり裾を後ろへ流したり丸めたり。むろん着用は義務なのでしょうが、それなりに楽しんでおられるような気配

そんなわけで、市内は文字どおり人種のるつぼ状態です。それでいて個々の差異を意識する風でもなく、ほどよい距離感を保ちながらクールに尊重しあっている感じ。台湾みたいなひと懐っこさはないけれど、前述の通り、ある意味とても気楽です。実際、街もけたたましいほど賑やかなわりに平穏で。毎晩遅くまでうろつき廻って裏町に潜り込んだりしてたわたしも、怖い思いをすることはありませんでした。そう考えると、物価はおしなべて安いしご飯はどれも美味しい(※1)し、観光で訪れるのも良い所なのかも知れません。

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チョーキット市場の魚屋。クアラ・ルンプルきってのウェットマーケット(床が濡れている市場=生鮮食品市場)で、鮮魚市場と精肉市場と青果市場が合体した巨大市場です。もちろん観光客も買い物でき、スパイスや調味料、乾物類を土産に購入する人も少なくありません

そんなクアラ・ルンプルの古書店事情ですが、台湾や中国、タイなどと比べると正直あまり芳しくありません。事前のリサーチでも古書店情報はほとんど発見できず、新刊書店についてもあまり情報がありません。特に日文書籍を扱う店は希少なようで、「ふるほん漫遊」に関しては、ですから当初からほぼ諦め気分でした。それでも長期出張中の日本人駐在員氏に助言いただき、クアラ・ルンプル市内で1店、マラッカ市内で1店、古本を扱う店を訪ねたのですが、いずれも日文書籍は皆無。アジアでは定番の海賊版マンガさえ見あたらず、完全に空振りでした……とまア、この時は確かにそう考えつつ、ゆるゆる帰国の途についたわけですが……。

ビジネスマン氏が教えてくれた、市中心部のショッピングモール内にあった古書店。店名不明。「Is there Japanese books?」と聞いても肩をすくめるばかりだった店主のおっさんは、おそらくマレー系。ごちゃごちゃ平積みされた本は、英語のエンタメ系ペーパーバックが中心でした

そういうわけで11月9日深夜成田着。ところが数日後、ある記事を見て驚きました。曰く、ブックオフコーポレーション子会社がクアラルンプールに大型リユースショップ「Jalan Jalan Japan」1号店を11月18日にオープン!と(※2)。は? 18日? わ・た・し・の・帰・国・9日・後・に・ブコフが!? しかも、調べていくとこの「Jalan Jalan Japan」がオープンしたショッピングモールは、わたしが宿泊していたホテルのごく近所、というか真向かいではないか……というわけで、イマイマしさも倍増です。ともあれ、そういうわけで。見事なまでに行き違いを食らわしてくれたこの街、きっと再訪せずばおかぬと、固く心に誓った次第です。

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マラッカ市内の骨董屋風土産物屋の店先に古書が少しだけ並べられていました。均一棚という感じですが、値付けはバラバラ。ここも英文ペーパーバックがほとんどで、値段は2〜5リンギット。当時は1リンギット=30円弱でしたから、おおむね1冊50〜150円というところでしょうか。本よりも、この本棚というか本箱というか、がスゴイ。土台部は石材、それ以外は木製で、たぶんもとは飾り棚かしらん。全体に大きく右に歪んでいるのがいい味出してます

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マレーシアの国民食「ナシレマ」。ココナツミルクで炊いたご飯に、オカズは、写真左下から時計回りで「イカンビリス」(唐揚げカタクチイワシ)に塩ピーナッツ、「サンバル」ソース(現地風の唐辛子ソース)、キュウリ(普通にキュウリだけどめっぽう瑞々しい)とカレー風味フライドチキン。これはレストラン製なので皿に盛ってありますが、道端の店ではバナナの葉によそうのが基本。オカズごとバナナ葉でくるんでテクアウトし弁当にもなります

※1 クアラ・ルンプルの美味いごはん。前述の通り、多民族国家のマレーシアだけに、中華料理もインド料理もその他のアジア各国料理もあって、どれもそれぞれに美味いですが、わたしが「これは!」と刮目したのは、「ナシレマ(Nasi lemak)」という素朴なマレーシア料理。インディカ米をココナツンミルクで炊き、オカズを添えた朝定食的な国民食です。まあ写真で見る限りは貧乏臭い定食にしか見えませんが、どえらく美味いんだ、これが。ココナツミルクライスにさまざまなオカズを少しずつ混ぜながらいただいていくわけですが、ひと口頬張ると、ピーナッツのカリカリ、小魚揚げのしょっぱいさくさく、キュウリの瑞々しいざくざく、サンバルの辛味旨味のねっとり、チキンのカレー風味もじんわり……という具合で変化に富んだ味と香りと歯触り、舌触りが口中で次々サクレツし、それが実に楽しく面白い。ひと口ひと口が驚きにあふれ、「とてもよい」と、思わず池波正太郎になってしまいます。それから「肉骨茶(バクテー)」ももちろん美味かったですね。思ったほど漢方薬くさくないし──というか、たしかに独特のつんとくる匂いはありますが、悪くない香りで。深く濃厚なスープが「たまらぬ」と、これまた池波正太郎(笑)

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ディーン・フジオカ氏も好物という肉骨茶(パクテー)。薬膳というからもっと漢方薬臭いのかと思いましたが、ぜんぜんそんなことはありません

 

※2  当該記事はこちら。「Jalan Jalan Japan」の公式facebookページはこちら。お読みいただけばお分かりの通り、この「Jalan Jalan Japan(ジャラン・ジャラン・ジャパン=「ぶらぶら日本」くらいの意)」は古本だけでなく、衣料、家具、生活雑貨、楽器、おもちゃetc.を扱う大型店で、要は「BOOKOFF SUPER BAZAAR」的なリユース店ですね。裏返せば古本の扱いはそんなに多くないのでしょう。商品は現地仕入れではなく、みんな日本から輸入しているそうで。ならば本も日文書籍が中心になりそうです。ともあれこの「Jalan Jalan Japan」、すでにマレーシア国内で3店舗まで増えているとのことで、日本国内ではやや元気がないBOOK OFFですが、海外で頑張ってるんですね。