逆署名本の謎(1)

鉛筆書きの感想がびっしり記された1951年初版のクリスティ『予告殺人』。お名前は分りませんが、メモの内容からかなりの本格原理主義者と分ります

鉛筆書きの感想がびっしり記された1951年初版のクリスティ『予告殺人』。お名前は分りませんが、メモの内容からかなりの本格原理主義者と分ります

署名本とは、その本の著者や訳者、時には挿絵や装画を担当した絵師さんが自筆署名した本のことを言いますが、実はそのどれにも当てはまらない署名本というのもあります。事実、当方は古書店で、その本の著者でも訳者でも絵師さんでもない人物の署名が残る本をたびたび入手しています。だれの署名かといえば、読者。つまり、その本を買って読み、おそらくはそれを古本屋に売り飛ばした人です。もちろん愛書家も蔵書印や蔵書票やらを使う方がいますが、そんな立派なものではなく、たいていは裏表紙の見返しあたりに雑に記された読了年月日と署名。時には、購入した書店名や短い感想まで書き込まれていることもあります。

1981年55版クイーン『レーン最後の事件』を出てすぐ購入し、5日ほどで「読破す」の寿美江さんは、あのトリックににどんな感想を持たれたのでしょう

1981年55版クイーン『レーン最後の事件』を出てすぐ購入し、5日ほどで「読破す」の寿美江さん……あのトリックににどんな感想を持たれたのでしょう。いまもミステリをお読みでしょうか

逆署名本とでも言いましょうか、こういう署名に、古本者なら一度や二度は遭遇した経験がおありでしょう。しかし、よほどの有名人でもない限り、この手の署名は古書価を下げるし美しくもないしで嫌われることが多いようです。でもこういう古本、けっこう多いんですよね。たとえば子どもなら自分の持ち物に名前を書くのは自然だし、おとなでも何かしら「しるし」を残したいという思いはあるでしょう。特に今のようにwebのサービスなどなかった時代、読み終えたその場で、本に感想を書きつける人がいても不思議ではない。――言い訳がましいのですが、実は当方も小中学生時代、読了本へ署名を書きつける悪癖があったのでした。

1974年5月第22版の『クリスチィ短篇全集5』。ポワロものの中篇が4つほど収録されています

1974年5月第22版の『クリスチィ短篇全集5』。ポワロものの中篇が4つほど収録されています

まァ当方の悪癖はどうでもいいわけで、まずは上の写真をご覧ください。これは先日、南砂町の某古書店の店頭百均棚で見つけて買い求めた古本です。タイトルは創元推理文庫の『クリスチィ短篇全集 5』。当方も中学生頃に読了した本でとくだん欲しくはなかったんですが、何気なく裏表紙をひらいてみて、にわかに買う気になりました。愉快な書き込みがあったからです。おそらくこの本を新刊で買った人物が書き付けたものでしょう。よく見ると上半分はこの本の購入記録で下は読了報告のようですが、だとすると奇妙な点があります。購入日はS29 8.28、すなわち昭和29年8月28日。そして読了日はS49 8.31、すなわち昭和49年8月31日。……えーっと。つまり20年かけて読んだということ?

あー、これは関係ないですねー。旧持ち主さんのお子さんが書きつけた落書きでしょう。本は昭和32年10月初版のブルーノ・フィッシャー『血まみれの鋏』

あー、これは関係ないですねー。旧持ち主さんのお子さんが書きつけた落書きでしょう。本は昭和32年10月初版のブルーノ・フィッシャー『血まみれの鋏』

とまあ、引っ張っても仕方がない謎なので、答えてしまいますが、これは単純に「書き間違い」でしょう。同書の奥付は1974年5月の第22版で、つまり昭和49年5月に出た本。ですから、どう転んでも昭和29年に買える筈がない。タイムトラベラー的な誰かが、昭和49年に出た本を買って過去へ飛び、こっそり本屋に並べてこの読者氏に買わせ、読者氏はちょうどその本が出る昭和49年まで積ん読しておいて、という夏への扉的奇譚も楽しいけれど、ここは素直に「S49」を「S29」に書き間違えた、という解釈を取りましょう。しかし、それはそれで不思議な気もするのです。「S49」を「S29」に書き間違え、それを直しもしないというのはなぜなのか。気付かぬ間違いとは思えないのですが……とかなんとか考えているうちに、興味が募ってきました。この読者さん、いったいどんな人物なのでしょうか?   この項、続きます。この後、新たな「資料」を含めていろいろ発見がありまして。

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