東京の大学に通うようになって神保町を知り、毎週のように古書街へ出かけ、足代の最期の150円まで遣ってしまってはあわあわしていた頃のことです。まぁ通ったといってもそもそもお金がないので大した本は買えず、百均棚の文庫本が中心で、捨て値で売られる破本傷本の類いもちょいちょい買っていました。困るのはこの傷ものたちの後始末。中には気に入って手元に置きたいと思う本も出てきますが、さすがにそんなズダボロ状態のまま本棚に並べる気にはなれません。といって、どんなにぼろでも捨ててしまうのは抵抗がある。そこで考えました。壊れた本なら直せばいいじゃない! というわけで、壊れた表紙を取り外し厚紙と布と糊で表紙を自作し装丁しなおすということを、当時よくやっていました(※1)。こういう手仕事が楽しくて仕方がないんですよ、不器用なくせに。で――この作者さんも、きっとそうだったんだろうなあ、と思いながら読んだのがこの本。林田道子さんの『ダンケ・シェーンの旅日記』3部作(※2)です。
ドイツ旅行を中心にした紀行エッセイなんですが、著者の林田さんはプロのライターではありません。普段ワープロ打ちの仕事をしておられるご婦人で。1991年、2004年、そして2008年の3度にわたり各1カ月余りドイツへ一人旅されました。この時の見聞を3冊の旅行記にまとめたのが、この『ダンケ・シェーンの旅日記』三部作。そして、お察しの通りこの本が完全な手作りなのです。製作時期がズレている(2000年、04年、08年)ため微妙に体裁が異なりますが(※3)、基本的にはA5判100ページちょっとのソフトカバー。たぶんテキストと写真をレイアウトした本文をプリントアウトして貼り合わせ、さらに厚紙で表紙を作って取り付けたのでしょう。表紙部分にはPPコートも施されています。こう説明しただけでは手作り感全開の素人臭い本みたいに思われるかも知れませんが、実は手に取ってパラパラやっても、一瞬そうと気付かぬくらい完成度の高い手作り本なのです。
専門家の手仕事装丁などではむろんなく、あくまで自己流の造本ですが、とにかくすみずみまで神経が行きわたった丁寧な仕事で、素人仕事的なアラが見あたりません。また本文フォントの選び方や字間の取り方などはプロ裸足で、本文の誤字脱字もごく少なく、数少ない誤植箇所は、昔の写植版下よろしく修正部分を打ち出した小さな紙切れを貼り付けてありました。もちろん著者が全てひとりで作ったとは限りませんが、お仕事のワープロ打ちの経験が生かされている感じです。当方はこれを地元の図書館で見つけましたが、ふつうに旅行記のコーナーに置いてありました。作者が図書館に頼んで置いているのでしょうか。とにかく他の本同様に図書館のコードも付けられ、ぱっとみ私家版とは分かりません。もっともこんな手間をかけた作りではそう数をこなせないはずで、実際近隣の図書館データベースをあたってみても、当方が借りたもの以外には見当たらず、どうやらこれが唯一の完成品のようです。
当方が驚いたことはもうひとつあります。実はこの林田さん、1935年生れでらっしゃる。最初のドイツ行が56歳で、本にしたのは65歳。2、3回目はそれぞれ69歳、73歳!英語やドイツ語に堪能でもないのに、ツアーを使わず『地球の歩き方』片手にユーレイルパスで町を巡り、安ホテルを自ら予約してひとりで泊り歩いておられます。もちろん道中の落し物忘れ物はしょっちゅうだし、ひっきりなしに道を間違え電車に乗り間違え、そのたび周囲の人たちに助けられている。読んでいてハラハラすることおびただしいのですが、とにかくなんちゅう元気なご婦人なのか!と感嘆久しくしました。正直いってテキストは素人の域を出ませんが、カラー写真は豊富だし、珍しいドイツの田舎町がたくさん出てくるしで意外につるつる読めてしまい、何よりこういう手仕事のカタマリみたいな本に触れるのが楽しくてならず、やはり紙の本はよいなあ、と痛感した次第です。
……それにしても、作者さんはその後どうしておられるのでしょうか。今年で77歳になられますが、どうか元気でいていただきたいものです。そして機会があればインタビューなどしてみたいなあ、などと考えています。
※1 横溝正史の『夜の黒豹』を黒いビロードの布で表紙をこさえたりしたなあ。あと革装にしたかったけど革が手に入らなくて、結局革っぽいビニル装にした小泉喜美子の『ダイナマイト円舞曲』とか。
※2 『ダンケ・シェーンの旅日記 ~ふつうのおばさんドイツを歩く~』(2000年8月作成)/『ダンケ・シェーンの旅日記・II ~ドイツ 夢の国へ再び~』(2004年10月作成)/『ダンケ・シェーンの旅日記 III ~ユーレイルパスをお供に~』(2008年10月作成)
※3 たとえば最初の1冊では写真は(おそらく)紙焼きの写真をカラーコピーしたものを切って糊で貼り付けています。しかし、2冊目からは写真もレイアウトした状態で出力し、製本しているという進歩ぶりです。すごいのは手張りしていた1冊目からちゃんと写真の入る位置を本文中に食い込ませ、キャプションまで打ち込んでること。また、2冊目でもパソコンでなくワープロ専用機を使っておられると推定できること。その手間のかけっぷりたるや、想像を絶します。